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連載「うちの倉庫はダメだよな」第13回

2021年4月26日 (月)

話題企画編集委員・永田利紀氏の連載「うちの倉庫はダメだよな」の第13回(最終回)を掲載します。

「うちの倉庫はダメだよな」第12回
https://www.logi-today.com/430720

■ 君はまだ辞めてはならない

(イメージ画像)

無機質なスマートフォンの画面から聴こえる部長の声は淡々としていた。しかしその内容は固唾を呑んで聴き入ってしまうことばかりだった。物流部の課長が辞めて、その次に部長まで退職。組織のトップや次席の交代は、相当の準備期間を設けて行うべきことで、それは不正の発覚の類の異常事態以外ではあり得ないし、経営的にもリスク以外の何物でもないはずだ。

自分自身もその異常事態の張本人であるにもかかわらず、客観的な思考回路で思いを巡らせているのは奇妙この上ない。部長に理由を尋ねようとしたら、それに先んじて言葉が続けられた。

「実は提案書を書いた翌々年に初期の大腸がんが見つかってね。会社での全てを諦めかけていた私だったんだが、上司だった常務は商品部長就任を術後の経過観察の3年間も待って下さった。もう大丈夫だろうと前を向いて、社長になっていた元上司の恩情に報いるためにも精力的に働いているうちに病気のことなど忘れかかっていたんだけど、役員就任の内示が出た2年前の定期健診で再発が分かった。就任間もないO社長にすぐに伝えて、重ねてのわがままとして物流部に異動希望を出したのも、会社での残り時間が少なくなっていると思ったからだった」
「残り時間…って」
「あくまで企業人としての、だよ。余命何年、なんていう差し迫った話ではないので心配は無用だ。前回同様に早期発見だったから、即処置して事なきを得たし、その後もつつがなく過ごせてはいるんだけれど、今後も定期的な検診を絶やさずに、生活自体の中身も相応に変えなきゃならないというわけなんだよ。家族にもこれ以上心配を掛けたくないからね」

あまりの展開に言葉を失う。他部署だったとはいえ、全く知らなかった自分が情けなく腹立たしい。自責の念で居場所がない気分だった。

「そんな…どうして教えて下さらなかったんですか」
「身の処し方もあらかた整ったことだし、そろそろ話さなければ…と思った矢先に君から退職願が出されて今に至る、だよ」
「申し訳ありません」
「謝ることはない。私がもう少し早く君に胸襟を開いていたら、事態は変わっていただろう」
「でも、私がやったことは許されないことです」
「許されない? 誰が許さないのだろうか」
「社長や両本部長、そして誰よりも部長がです。それ以前に社会人として失格です」
「それが失格要件なら、私の方が先輩だよ。君はまだ辞めてはならない。社長も両本部長も心配いらないよ」

■ 掟を継ぐ者の一人として

営業本部長と商品本部長はともに常務。部長は「心配いらない」というが、事はもっと深刻なはずだ。結果的には役員の責任問題にまで発展する恐れがあるし、そこが今回の改善提案の根本でもあるのだ。どう考えてもただで済むはずはない。
「しかし…」
「Fさんが残した掟を継ぐ者の一人として、君はかけがえない存在だと社長がしみじみと言っていたよ」
「…」
「今朝夜明け前にいきなり携帯が鳴って、驚いて跳び起きて出たら、彼からだった。つい先ほどの倉庫での出来事を懐かしむように話していたよ。さすがに声がかすれていたけれど。長年の巧妙な不正と、緩慢化していた営業や仕入れのルールや行動管理にも、抜本的な手入れの根拠がつかめたと喜んでいたし、同時に久しく倉庫を歩いていなかった自身を恥じていたよ」

「久しく歩いていなかった」などとは思えぬ数時間だった。もし社長が定期的に倉庫巡回をすれば、わが社の物流機能は業界一の水準にまで引き上げられるかもしれない。そんな期待まで感じさせる内容だった。同時に自分自身の拙さや自己満足を思い知ることにもなった。惨めさが再び強くなり、意気が消沈してゆく。

(イメージ画像)

「来期からは君が責任者として物流部を運営するんだ」

部長の言葉がすぐには理解できなかった。いったい何を言っているのか。私はもうすぐ会社を去る身なのだ。

「もう社長から内示が出ている。わが社初の物流部生え抜きの物流部長の誕生となるはずだよ。人事のことを先走って漏らすのはルール違反だが、そもそも問題児の筆頭だった私のことだから、誰もが諦めてくれるよ」
「そんな…なぜ私が。すぐに退職する身です」
「辞めるのは私が先だ。退職後も、嘱託契約で現場サポートできるように取り計らってもらえるらしいから、微力ながらも邪魔にならんように手伝えると思うよ」

私の言葉が聞こえなかったように部長は続ける。表情は見えないが、声が弾んでいるようだ。懸命に言葉を振り絞って、返す私だった。

■ 始末を整える役割

「しかし私の能力では部長職どころか、現状改善すらおぼつきません。なのにそんな…」
「現場改善は私に案がある。着手は私と2人で、完成までは君が責任をもってやり遂げるんだ。時期をみて仕入ロットとパッケージ変更の決定があるだろうし、販路についても新規開拓がいくつか控えているらしい。新パッケージの導入でEC企業の新規取引が見込めると聞いている。利益率も高いようだから、仕入コストの増加分は物流改善効果と新規顧客でなんとかなりそうだ」
「では、私の退職願と書類提出は…」
「退職願は即座に捨てたから存在しない。改善提案書は結果としては奇しくも2代続いての物流部長が課長時代に提出した決裁保留物となった。社史に残ってもよさそうなもんだよ」

(イメージ画像)

あの日以来「本当は辞めたくない」と心の中で何度も繰り返してきた。越権行為を不問に付されただけでもありがたいのに、さらに昇進まで。喜びよりも戸惑いの方がはるかに勝っていたが、部長の言葉にわらにもすがる思いだった。

「ありがとうございます。とても…うれしいです」

穏やかな声に戻った部長は、ゆっくりと言葉を継いだ。

「それから、社長から伝言を預かっている。一言一句まで正確ではないが、主旨は外していないはずだ。『A君は要職にあって重責を担うにふさわしい逸材だ。以前からそう感じていたが、先ほど倉庫でやり取りして確信を持った。改善提案書にしても先達の教えや問題意識を余すことなく盛り込んで、的確に指針を具体化できていた。それについても素晴らしい。管理部のB課長は遠からず営業部に戻り、やがてわが社の明日を背負う存在となるだろう。その時、A君にはその脇でうるさく始末を整える役割を務めてほしい。かつてのF専務のように』ということだった。確かに伝えたからね」

俯いたまま小刻みに身体が揺れる。眼を閉じたまま、部長の言葉をただただ聴いていた。

「申し訳ありません。取り乱し…」
「気にすることはないよ。今日がテレワークでよかったね」

スマートフォンに部長と社長が映り込んで、微笑んでいるような気がした。(了)

―あとがき(近日公開予定)に続く