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「昭和レトロ」でブーム再来、令和のデコトラ最新事情

2025年3月6日 (木)

国内派手な装飾や電飾を施したデコレーショントラック(デコトラ)の人気が高まっている。改造車両への規制強化やバブル崩壊の影響で、2000年代以降は下火となっていたが、ここにきて再び若者を中心にファン層が広がりつつある。誕生から半世紀が経ったいまも多くの人々を魅了し続けるデコトラが集結したイベント会場を訪ね、ブーム再燃の実情に迫った。(編集委員・刈屋大輔)

根強い人気はデコトラの象徴「一番星号」

2月下旬の日曜日。茨城県五霞町にある「道の駅ごか」に個性豊かなド派手なトラックが集まった。軽車両からダンプ、2トン、4トン、大型まで、その数およそ90台。関東を中心に全国各地のデコトラオーナー(所有者)たちが自慢の愛車をお披露目するために会場に駆けつけた。

▲「道の駅ごか」に集結したデコトラ。走行する姿を見ようと早朝から多くのファンが詰めかけたという

荷台側面に人気漫画「ONE PIECE」のキャラクターなどが描かれているアニメ系トラック。桃色を基調としたデザインで統一されたラブリーなトラック。漢気(おとこぎ)と地元愛を主張するトラック。外装のみならず、運転席部分の内装にもこだわり、神棚やシャンデリアを搭載したトラックなど、普段はあまりお目にかかることのない“珍しい風貌”のトラックたちが一堂に会した。

▲普段は目にする機会が少ない個性豊かなド派手なトラックたちが観客を魅了する(※スライドショー形式で画像が移り変わります。再生停止したい場合は画像上部の停止ボタンをクリックしてください)

大勢の来場者たちがカメラやスマートフォンを片手に取り囲む、人気ナンバーワンのデコトラは「一番星号」だ。1970年代後半に上映された映画「トラック野郎シリーズ」の主人公である星桃次郎(演者は故・菅原文太)がハンドルを握っていたトラックと言えば、ピンとくる方も多いのではないだろうか。「一番星号」は映画の制作終了後、各地を転々としていたが、2014年に上映当時の姿に復元され、現在に至っている。

▲映画「トラック野郎シリーズ」でお馴染み、デコトラ人気ナンバーワンの「一番星号」

会場では、トラック野郎シリーズをリアルタイムで観たに違いない年配層、さらにそのお孫さんといった幅広い年代のファンたちが、車両のフロント部分に立ったり、運転席に乗り込んで、写真を撮ったり、動画を回していたりして、デコトラのレジェンド、一番星号と接するひとときを楽しんでいた。

▲写真や動画を撮って「一番星号」を満喫するイベント参加者たち。幅広い年代に愛されている

国内外で再評価されるデコトラの芸術性

デコトラは1960年代後半に青森や北海道の漁業関係者が市場に魚を運ぶトラックに装飾を施し始めたのがルーツ(起源)とされる。その目的は派手な装飾で目立つことで魚市場での競争力を高めたり、重労働である長距離運転の仕事に対するモチベーションを上げたりすることだったと言われている。

その後、75年に映画「トラック野郎」が公開され、その存在が広く知られるようになり、80年代に入ると、主に長距離トラック運転手の間で第1次デコトラブームが巻き起こった。カラフルなペイント、メッキパーツ、大型のバンパーやウイング、ネオン、イルミネーションなどを施したトラックが全国各地で相次いで誕生。デコトラはトラック運転手のステータスシンボルとして、「どれだけ派手に装飾できるか」が競われた。バブル全盛期の頃だ。

(イメージ)

ところが、2000年代になると、ブームは一気に沈静化した。道路交通法や車両制限令といった法令の改正で、大型バンパーや過度な装飾への規制が強化され、デコトラの車検が通りにくくなったためだ。1990年に実施されたトラック運送事業の規制緩和以降、事業者間の競争が激化し、ドライバーの報酬が減少に転じて装飾にコストをかけられなくなったことも、デコトラにとっては逆風だった。また華美な装飾は荷主からも次第に敬遠されるようになった。

すっかり「昭和のレガシー(遺産)」と化していたデコトラが再び脚光を浴びるきっかけとなったのは、2021年に開かれた「東京オリンピック・パラリンピック」だ。パラリンピックの開会式でギタリストの布袋寅泰氏がデコトラに乗ってパフォーマンスを披露した。以来、日本を代表する“クールなコンテンツ”の1つとしてデコトラへの関心が高まり、とりわけ海外では「アートトラック」としてその芸術性が高く評価されている。

一方、日本では、若者の間で広がる「昭和レトロ」ブームがデコトラの人気復活を後押ししている。昭和の雰囲気を持つ旧式トラックや、昭和風のデコレーションが「レトロアート」として再評価され、Instagram(インスタグラム)やYouTube(ユーチューブ)のデコトラ関連動画は軒並みバズっているという。さらに、一部の愛好家の間では、デコトラのプラモデル、通称「デコプラ」の制作も流行っている。

来場者増が続くデコトラ関連イベント

本物のデコトラと会えるイベントも盛況だ。五霞町やその周辺エリアにデコトラが集結したのは、実は今回で4回目。当日のイベントを企画・運営した地元のトラック運送会社、新幸運輸倉庫の植竹一雄社長は、「回を重ねるごとに来場者数は増えており、今回は1万人を超えた。トラック野郎時代からのデコトラファンも多いが、最近はデコトラが実際に走っていた頃を全く知らないはずの若者や外国人の来場者も増加している」と説明する。

全国各地で開かれるようになったデコトラ関連イベントを“ハシゴ”する熱狂的なファンも増殖中だ。栃木県宇都宮市から今回のイベントに参加していた30代女性もそのうちの一人。2年ほど前にデコトラに出会い、これまでに3回、関東エリアで開催されたイベントに足を運んだ。

彼女にとってデコトラの魅力は、「昼間と夜間に見せる姿の違い。ライトアップ(電飾の点灯)された時の車両の華やかさと、そうでない時のギャップ」で、そこに“萌え”や“儚さ”のようなものを感じてしまうそうだ。今後も未だ見ぬデコトラとの出会いを求めて、各地のイベントに足繁く通うつもりだという。

文化継承に立ちはだかる高齢化の波

各種イベントを主催したり、イベント開催先にデコトラを提供したりしているのは「全国哥麿会(うたまろかい)」だ。元々は映画「トラック野郎シリーズ」の撮影協力を目的に結成された組織だったが、映画終了後も活動を継続。現在では全国各地に支部を持ち、500の会員(デコトラオーナーなど)が所属する日本最大のデコトラ団体として、デコトラ文化の継承と、交通遺児支援や被災地支援など社会貢献を両立する活動を展開している。

デコトラブームの再来で、全国哥麿会にはここ数年、海外メディアへの出演や、国内外イベントへの参加といったオファーが殺到しているという。そうした要請に応じることは、デコトラの歴史や文化的価値、さらに団体がこれまで取り組んできた社会貢献活動を広く社会に知ってもらえる絶好の機会と捉えている。しかしその一方で、取り巻く環境の変化から「デコトラがいま存続の危機に瀕している実態にも目を向けてほしい」(全国哥麿会の田島順市会長)と付言する。

全国哥麿会がデコトラ文化を後世に残していくうえでの課題の1つに挙げるのが「後継者不足」だ。現在、全国哥麿会の主力メンバーは、「トラック野郎」に憧れてデコトラを始めたり、バブル景気を体験したりしてきた50代以上が大半を占める。近年はそうしたベテラン勢が定年退職や病気、運転免許の返納、経済的事情などを理由に、デコトラから“降車”してしまうケースが後を絶たない。

古参のデコトラオーナーたちには、コツコツと身銭を切って少しずつカスタマイズし、メンテナンスも繰り返してきた自慢の愛車を、同じ志を持つ後輩たちに託すことで、デコトラ文化を継承していきたいと願う。だが、肝心の引き受け手がなかなか見つからないのが実情だ。

デコトラの製作や維持には多大な費用を要する。トラック本体や各種パーツの価格は年々上昇しているほか、車検代や駐車場代の負担も大きい。燃料価格も高止まりが続く。令和のファンや若いドライバーたちが先輩からのデコトラ譲受に二の足を踏むのは無理もないだろう。

かつてトラックは稼げる仕事だった。そのため、ドライバーたちにもデコトラにお金を掛ける余裕があった。ところが、だんだんと儲からない仕事になり、それに伴ってデコトラ業界も活気を失っていった。全国哥麿会の田島順市会長は「2024年問題(残業時間の規制強化)で、トラックドライバーの仕事はこれまで以上に稼げなくなってしまった。働きたくても働けなくなることは、モノを運ぶドライバーの不足だけでなく、デコトラの後継者不足にも影響を及ぼす」と指摘する。

▲「2024年問題はデコトラの後継者不足にも影響を及ぼす」と全国哥麿会の田島順市会長

ギャラリーたちの心を癒すデコトラが放つ光

午後5時すぎ。辺りが薄暗くなってきたのに合わせて、デコトラに火が灯され始めた。最近のLEDとは異なり、デコトラたちはどこか温かみのある光を放っている。これこそが昭和レトロなのだろう。会場は、ライトアップされたデコトラを観ようと、日中にも増して大勢のギャラリーで埋め尽くされている。

▲ライトアップされたデコトラ。「昭和レトロ」を感じさせる温かみのあるネオンが会場を包み込む

▲点灯で日中とは異なる表情を見せる「映える」デコトラ。女性ファンも増えている

デコトラはいま後継者不足に直面している。人気のあるデコトラでも新しい主人(あるじ)が見つからなければ、残念ながらスクラップされてしまうことも少なくないという。「オレたちを見捨てないでほしい」──ファンからの依頼で対応しているのか、時折、会場内に響き渡るクラクションの音色は昭和、平成、令和の時代を駆け抜けてきたデコトラたちの心の叫びに聞こえてならなかった。

関野和也さん(全国哥麿会所属、埼玉県在住)

デコトラのためだけに2トン車を購入

私が最初にデコトラと出会ったのは4、5歳の頃だった。同じ保育園に通っていた同級生の親父さんがデコトラを持っていて、それに同級生を乗せて送迎していた。大型トラックだったと思う。派手な装飾に加えてマフラーから出る轟音が格好いいなー、って。幼いながらもその魅力にすっかり取りつかれてしまった。いつか絶対に乗ってやるぞ、と心に決めたのを覚えている。

18歳になって運転免許を取り、デコトラを始めるためにすぐに2トントラックを購入した。就いた仕事は大工さんだったから、仕事にトラックが必要なわけでもない。それだけに親から「とんでもないモノを買いやがって」とこっぴどく叱られた記憶がある。

大工の仕事で稼いだお金を少しずつデコトラの製作につぎ込んだ。パーツ用の部材を購入したり、看板屋さんに絵を描いてもらったり。私は部材を買って自分でパーツに加工するのが好きなので、製作にはどうしても時間が掛かる。1台目のデコトラが納得のいくかたちで完成したのは開始してから20年後。これまでデコトラに投じた額?うーん、数百万円ってところかな。

思い出の初号機は北海道で健在

愛着のあった1台目のデコトラは、今はもう手元にはない。親族のお墓を建てる費用を捻出するため、知人に引き取ってもらった。ところが、その知人が急逝し、維持・管理ができなくなったということで、また別の人に買い取ってもらうことになった。現在は北海道で元気に走っていると聞いている。

2台目のカスタムは20年前にスタートした。3台目のカスタムも始めて、いま所有しているデコトラは計2台。最近はあらゆる部材が高騰しているので、あまり無理をせず、できる範囲内でゆっくりとデコトラづくりを楽しんでいる。

高齢化や経済的な事情を理由に、デコトラを手放す昔からの仲間も少なくない。寂しいかぎりだけど、こればかりは仕方がない。デコトラが再びブームになっているのは喜ばしいことだけど、若い世代の人たちには、観るだけではなく、自分色に作り上げていくことの楽しさを味わってもらいたいね。(談)


▲内装にもこだわりがみられる

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