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論説/物流業界はLGBTにどう向き合えば良いのか

2021年6月8日 (火)

話題とかく「差し障りなく」「横並び」「他社の動向を伺って」などに流れがちな物流業界だが、世間では議論が活発で、各業界各社が指針や取り組みの具体策を挙げているLGBT問題についても、反応の鈍さは否めない。もはや禁忌扱いしたり、暗黙したりするような事案でもないはずだが、現場や事業所における具体的な事例やガイドラインの、積極的な広報を見聞きすることは極めて少ないのが実状だ。

個人の生き方を認めて、その言動を公正に評価する――その手順に性別や年齢による前置きは不要であることなど、時代を問わず当然だと考えているが、読者諸氏のお考えはいかがであろうか。(永田利紀)

面接時と異なる容姿

今から10年ほど前、とある営業倉庫の生活雑貨品の現場で、入荷検品とリバイバル作業(この場合は汚れや突起物の除去)を請け負うにあたり、相当数のパート人員採用を行った。当時その荷主企業の営業担当だった私は、業務開始初日に現場視察に来訪する荷主企業の役員を応接するため、始業前に所長と担当社員との打ち合わせを行う段取りとなっていた。

(イメージ画像)

倉庫に着いて事務所に入ると同時に、所長から挨拶もそこそこに「相談がある」と持ちかけられて、別室で話を聞くことになった。内容としては「面接時には小柄で美形な20代後半の男性」が、今朝出勤してきた際には「女性のような化粧と服装の男性」と化しており、面接した所長自身も担当社員も混乱して動転している…といった内容だった。

所長本人はあくまで「自分自身の感覚や常識ではそう思える」と偏見への恐れを失わない態度だった。説明を聞きながら、混乱しつつも理性的な彼の態度に安堵し、心強くもあった。

所長の困惑

所長が私に判断を仰ぎたい点は「履歴書の写真や面接時の容貌とは別人に近い」という現状を看過して良いのか否か、ということだった。その場に居合わせた全員が「外見が申告した性別と異なるように見える、もしくは紛らわしい」ということについては問題点として挙げなかった。

しかしながら、私の感覚は所長や担当社員とは全く異なっていた。なぜなら20代前半から新宿エリアで長く過ごした来し方によって、個人的には異性装や同性愛などに対する違和感や抵抗感は皆無に近く、現場管理者である両名が倫理上の抑制から話題として不適切という観点で不問とした、と同じではなかった。私の遺憾はひとえに「面接時に申し出るか、履歴書の写真を差し替えて提出するべきだった」という点に尽きていた。

もちろん本人がそうしなかった理由も心得ている。正直な履歴書を提出するにあたり、余りにも多くの説明や不本意な問いかけに対する回答が必要になるだろうし、対話どころか書面一瞥(いちべつ)の後に即除外など、面接はおろか職歴や経験を踏まえるまでなく、次に進めない可能性を恐れたに違いない。それは可能性への危惧ではなく、過去の経験がそうさせているのだろうとも感じていた。

それでも現場は動く

「履歴書写真および面接時の容姿との大きな乖離については、性別以前の告知義務に問題がありそうだから、後に私の立会いの下で面談しよう」と告げて、その場は収めた。内心では「何も問いただすことはない」と決めていたが、とりあえずその場をやり過ごすための方便として用いた。

そして通常通りに現場は朝礼を終えて、受け持ち現場ごとのOJT確認などが粛々と進められた後、大量の入荷物相手の検品戦争が始まった。遠目でくだんの人物の仕事ぶりを観察していたが、初日にしては如才なく几帳面であるように伺える。ただし同じラインのスタッフだけでなく、数十人に及ぶ作業者達の視線が「遠慮気味に」「まじまじと」と、本人に注がれていることは容易に見て取れる。

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現場管理者には、皆が感じている違和感は雑音や私語と同様の「雑情報」として、現場作業の進捗上は好ましくない異物として映るはずだ。それは異性装や同性愛への差別意識や偏見ではなく、現場の進捗の妨げとなる因子の全てに対する反射と判じてよいだろう。

「対象が何であろうと、現場の妨げとなる物は排除したい」は極論のようでありながらも、その反面、社会性や公共性を乱さぬ限りは、管理者心得として一定の理解を得られることでもある。荷主企業は「常識や順法に障りない限り、自社の物流業務を徹底的に合理化して欲しい」と求めるし、自社物流に置き換えても本質的には大差ない。

現場責任者や管理担当者は、そのような顧客要求や上位方針を具現化する責務を負っているゆえ、ひとたび現場に立てば無意識に業務推進回路が稼働し始める。それは進捗管理やエラー排除を筆頭とする庫内実務に不可欠な意識であって、その際にはスタッフ個々の背景にある、物語や属性への興味・思考は完全に消えているのが常だ。

つまり現場での問題は、LGBTの本質的な考察や理解と許容ではなく、外見や言動が異物化しているか否かに尽きている。もちろん個人的な偏見や誤解による言動が皆無ではないことも事実だ。興味本位や無神経な発言は、物流現場に限らず後を絶たない問題である。

ガイドライン化して広報を

物流業界としては今一度、LGBTに関わる諸事の決め事をガイドライン化して広報すべきだ。大手から中小に至るまで準拠できるような内容の禁止事項や許容範囲の規定は、他業界の事例を参考にすれば時間をかけずに作成できる。

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おそらくは集団業務が多い倉庫内などの作業現場よりも、単独で従事可能な運転業務や事務処理の分野に、潜在的な対象者が多いような気がする。実務に支障がない限りは、あえて話題としないことが大人の処し方と考えるが、やはり「偏見防止」の斉唱は必要なのだとも思える。

他の人権問題同様に、差別に対して無意識である人間にまで無用の知識や差別の存在を知らしめてしまう点が危ぶまれるが、中途半端でブレの多い説明こそが最も避けるべきものだから、広報するなら徹底的に丁寧な内容としてもらいたい。

前述した通り、私には異性装をはじめとする関連諸事への偏見がないと思うのだが、決して良識ぶったり、公正さの証左として書いたりしているのではない。それは差別なく与えられた仕事環境で、性別やその心身不一致を理由や障害とする斟酌や考慮は、一切認めないということと同義でもある。

飲食業などのみならず、一般の事業会社で事務職や物販職に就いている異性装者や性同一性障害に苦しむ人たちを、少なからず目にしたり、仕事上の付き合いをしたりしてきた。私の過ごしたエリアでの大人たちは、その大半が性差別を前置きとした言動と無縁だった。

本気で仕事をしている者にとって、個人の内面に存在する性的な志向などは雑情報でしかなく、そんなことにこだわっているほどヒマも余裕もないのだ。大切なことはその人が何をして何を言うのかであり、その結果が益となるのか損となるのかに尽きる。

もちろん職制や場にそぐわない身だしなみや言葉遣いは、その性別以前に社会人として論外だ。商談の席に派手なメイクや強すぎる香料は、非常識で不快この上ないことなどは言うまでもない。立居振舞以上に、発言内容や制作物の水準は最も注視される。

分け隔てなく共に在り、現場に取り組む

つまりはここであえて書き並べるまでもなく、すでに世にある常識やルールを、年齢や性別や国籍を問わず、分け隔てなく適用すればよいだけなのでは、と考えている。“LGBT”とは、誰かが作り上げた言葉に過ぎない。本来なら日々の暮らしの中でいちいち口にしたり、特筆しなくてはいけないものではないのでは、と思う。

また、身体的な障がいを持つ諸氏に対しても、その障がいを排除できる環境を提供した上で、分け隔てなく共に在ればよいだけではないだろうか。車いす使用者なら、全ての動線上の段差の解消や間口幅の確保などが、スタートラインに立っていただくために必要となるだろう。視聴覚障がい者なら、眼や耳の代わりとなる道具を準備するか、それらの機能がなくとも従事できる業務を担当してもらうなどの方法がある。

(イメージ画像)

入荷検品やピッキングや梱包、現場事務所でのデータ処理時に、その作業者が「どこの何者」かを問うた後に、差別や偏見に基づく言動をとる責任者には役職を担う資格がない。正しい管理者なら「素晴らしい正確さと効率性、迅速さで現場や事務所での作業をこなしてくれるなら、どこの誰でもありがたい」となって然りだ。

真剣に結果を追求すれば、個々の属性や外見や内面への干渉などの過ぎたる関心は、影を潜めるのではないだろうか。訳知り顔で理屈や正論を並べる前に、愚直かつ必死に、体裁や身構えを捨てて、現場に取り組んでみてはいかがだろう。全ての答えは現場にあると信じる者の願いだ。