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東京パラリンピック大会が終わって

強い物流現場は「多様性」の最先端を行く/論説

2021年9月17日 (金)

話題東京パラリンピックが終わって、その感動的な戦いを称賛するとともに、障がい者への向き合い方を見直すための検証が多く見られる。自分自身も大いに感動したり、思い違いを恥じて、正したりすることが数多くあった。そして「物流業界こそ多様性に富んだ人材の宝庫となるに相応しい」と改めて確信した。(永田利紀)

余計な言葉や情報はいらない

(イメージ画像)

数多い事業や業務の中で、物流ほど言語や性別や国籍に干渉されない分野はないと考えている。便利な補助具のおかげで体格や腕力などの性差や個人差が小さくなりつつあるだけでなく、その個人に相応しい業務が、どの現場にも必ず存在するようになった。

腕のいい現場責任者なら、在籍する個々のスタッフの適材適所を見出すだろう。必ずしも潤沢といえない現場人員の有効活用によって、品質を伴った業務量を維持することは、現場をつかさどる者の基本業務となっている。しかしながら「人材の有効活用」と一口に言っても、現実はそんなに単純で平易なものではない。

ではどのようにしてそれを可能にするのか? それは業務の単純化と、会話や個人の判断に依存しない現場ルールの策定と、徹底したOJTの実施だ。独善的な自己満足や自賛を許さない、確認作業の継続によるものと言いかえてもよい。「言葉が要らない」のではなく、「介在してはならない」場面の方が多い。それが秀でた物流現場の条件でもあるのだ。

昨今隆盛を極めているEC事業者の物流現場などはその最たるもので、優れた管理者がいる物流拠点の現場帳票類には、短い字数の記号と数字が、許される限り大きな文字で表示されている。補足の説明文や、雑情報としかならない商品や部材の説明書きは皆無で、無くても全く支障ないことは日々の業務結果が物語っている。

現場作業者はその帳票の各列にある文字が何を指しているのかさえ理解していれば、数時間の作業はつつがなく終わる。その間に会話や質問は必要とされない。適時の挨拶と、建屋・設備の不具合や機材の故障などの報告以外で、管理者に問うたり、逆に管理者から語りかけることも皆無に近い。かように機能性に富んだ現場では、どこの誰が何をするにしても、ルール通りに粛々と進めば必要十分なのだ。

物流現場での会話に限って言えば、言葉が通じなくても、カタコトでも、ジェスチャーでも、何とかなるものだ。それよりも何かの問題が起こった際に、同じように感じ、次の行動を共にできる相手であれば、それ以外の属性はどうでもよいのではないかと考えている。

「段差」の解消が競争力を生む

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今も少なくないが、特定の業務の適性として「男性でなくては務まらない」と妄信し、頑なに考えを変えない現場がある。典型的な業務として、フォークリフトの運転や資材の整理などが挙げられるが、論理的で合理的な理由など皆無のまま、習い性としてそういった考えが永らえていることが、ほとんどではないだろうか。

「そうは言っても、そのような現場に女性の責任者はいないに等しいではないか」いわれてしまうことは承知している。考えを変えていくには、まずは要件の合理的な整備や標準化を図るための具体的な行動が必要となるだろう。その呼び水として、拙稿のようなハナシも必要かと思っている。

「職務における性別の偏向」という現象を少し掘り下げてみればたやすく知れることだが、当事者たちには変えがたい信念や、容認を拒絶する価値観があることなどは皆無だと感じる。それはむしろ、思い込みや惰性といった表現の方がふさわしい。

しかし、そもそも性別の問題ぐらいでつまずいているようでは、その現場の将来は暗いと言わざるを得ない――というハナシを、つい最近も、とある企業の研修でしたばかりだ。

国籍や言語、身体の障がい、性的志向や人種固有の体格特徴などにあえて「段差」を設ける、もしくは段差解消の方策を講じないならば、その現場が支える事業のフロントラインは「競争力」という点で競合他社に劣ることになるだろう。競争力の第一はコストであり、第二は人材調達力、第三は人材の多様性が生み出す知恵や創意だ。

人材への偏見や偏向を排除しようとせず、外から自社を眺めようともしない企業について、「困っていないか、よほど余裕があるのだろう」と首を傾げてしまうのは私だけなのか。国内市場が縮小の一途にあって、活路を海外に見出すか、国内にとどまって隙間や異質結合による新市場を切り拓くかの正念場とも呼べる今にあって、闘いの志士たちの能力や適性以外に目を向けてこだわる企業など、考えられない。ある意味、大したもんである。

「現場の強化」の結果が多様性に

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私がコンサルティングしている顧客は、今やそのような段差など眼中にない。どこの誰でもよいから、うちの現場の力となってほしい。叶うことなら一労働者ではなく、リーダーとして活躍してほしい。物流現場はリーダー次第で宝の山ともゴミ捨て場ともなるからだ──そう断言するだろう。

時世に沿った現場観とは、能力と最低限の協調性以外は「どうでもいいこと」とみなし、身体的な障がいや、発現条件が特定可能な精神的な不安定さなどについては、機器や就業環境などの工夫で「不利な部分を消すか減じる」ことに尽きると思う。

例えば四肢の一部に障がいがあるものの、緻密な思考や冷静な判断力がうかがえる人材なら、スタッフに迎えないことは機会損失以外の何ものでもないと断言する。また、視力や聴力などに障がいを持つ人材なら、日常生活や趣味を楽しむ際の行動に着目して、適性を判断することも重要だろう。日頃からビジネスの創意工夫にいとまがないような人材であれば、ひらめきや気付きを得る可能性が高い。

「どうにかする」ために始まった観察や考察は、いつのまにか「どうしてもしたい」に変わり、ついには新しい形を確立するに至るのではないか。そんな仮想が絶え間なく脳裏に浮かぶのは、私だけではないと信じる。ある人材の不利な部分を補ったあかつきに得られるものを想像できないのは、将来への投資ができないことと同意で、事業責任者や管理者としての資質を問われてしまいかねない。

五体満足で視聴覚の健常さを疑うことのない管理者や責任者たちは、自分自身の物差しで推し測ったり、即断したりせずに、まずは相手と会話し、観察することから始めなければならない。蛇足ながら書いておくが、くれぐれも慈善活動や社会貢献などと混同したり、事業運営上の正義などと思い上がったりしてはならない。

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こちらが何かを憂いたりおもんばかったりすること自体が不遜で不明であり、「単純に戦力化できるのであれば、能力や適正以外の情報は雑音でしかない」という考えを、徹頭徹尾貫いてもらいたい。「こうすればできるのではないか」「これを用意すれば足りるのではないか」という視点を失わなければ、予想以上の働きを目の当たりにして、面接時の直感に胸をなでおろす日が来るに違いない。

願わくば、全ての経営者や物流管理者には、現場を強くするために必要なことだけに取り組んでほしい。そのような努力を続けるうちに、現場は自ずと「多様性」の最先端を行くことになるはずだろう。思い込みや偏見に囚われたまま、人材獲得を後手に回していてはいけないはずだ。