ピックアップテーマ
 
テーマ一覧
 
スペシャルコンテンツ一覧

Safety Driving Award 2025が示した、物流危機を突破する“意識改革”と“教育の神髄”

安全は守りでなく攻め、事故5割減・西部運輸の軌跡

2025年12月5日 (金)

話題11月21日、東京・赤坂インターシティコンファレンス。「Safety Driving Award(セーフティードライビングアワード)2025」の授賞式会場は、昨年の倍となる参加者で埋め尽くされていた。警察庁の統計(※)によれば、交通事故死者数は減少傾向にあるものの、企業の存続を揺るがす重大事故や、高額な賠償を伴う事故のリスクは依然として消えていない。むしろ、物流業界においては「2024年問題」による労働時間規制、慢性的なドライバー不足、そして厳格化するコンプライアンス要求といった荒波が押し寄せ、安全管理はもはや「守り」の業務ではなく、企業が生き残るための「攻め」の経営課題へと変貌を遂げている。

本誌速報記事では各部門の受賞企業概要をお伝えしたが、本稿では運送事業部門で最優秀賞に輝いた西部運輸(広島県福山市)の取り組みに焦点を当て、その詳細を深掘りしたい。グループ保有台数1600台、従業員数2000人という巨大組織でありながら、なぜ同社は事故を5割も削減し、荷主からの絶大な信頼を勝ち得ることができたのか。その背景には、単なるルール作りや精神論を超えた、過去の教訓と、人間の「心理」と「行動」に深く踏み込んだ教育イノベーションがあった

※公益財団法人交通事故総合分析センター交通事故統計表データ(令和5年)版

「怪我の功名」存続の危機が変えた企業DNA

パネルディスカッションの冒頭、登壇した西部運輸・安全指導部の占部恵司取締役部長の口から語られたのは、栄光の成功譚ではなく、過去の苦い経験だった。

「6年前にグループの1社が労働基準法違反により事業許可の取り消しを受けました。年商100億円を超える企業にとって、これはあまりにも大きな打撃でした」

会場が静まり返るなか、占部氏は淡々と、しかし力強く語り続けた。この衝撃的な出来事は、残されたグループ全従業員に、理屈ではない強烈な「危機感」を植え付けた。「法律を守らなければ、会社がなくなる。自分たちの生活の場が失われる」──その現実を肌感覚で理解したことで、会社がやかましく指導せずとも、現場レベルで「どうすれば法令を守りながら業務を遂行できるか」を自発的に考える土壌が形成された。

▲西部運輸安全指導部の占部恵司取締役部長

占部氏はこれを「怪我の功名」と表現したが、この意識変革こそが同社の安全対策の根底にある強固な基盤となっている。多くの運送事業者が「コンプライアンス対応=コスト増」と捉え、対応に苦慮するなか、西部運輸は「コンプライアンス=存続条件(生存戦略)」と定義し直した。「法令を守るためにはコストがかかる。では、そのコストを吸収するためにどう業務を効率化すべきか」。この思考の転換により、社内のコスト分析や管理手法は飛躍的に進化し、結果として筋肉質で強靭な経営体質へと生まれ変わっていった。

「2024年問題」を逆手に取る、ドッキング便の勝利

その意識改革が具体的な経営成果として結実した好例が、長距離輸送における「ドッキング便(中継輸送)」の導入だ。労働時間規制が強化された24年問題は、長距離輸送を主力とする運送会社にとって死活問題である。しかし同社は、ドライバーが中間地点で交替をするドッキング便のネットワークを構築することで、コンプライアンスを完全に順守しながら長距離輸送を維持する体制を整えた。

通常、こうした中継輸送の構築には車両繰りや労務管理の複雑化など、多大な手間とコストがかかる。しかし、法令順守を徹底する同社の姿勢は、同じくコンプライアンスリスクに敏感になっている荷主企業から高く評価された。「無理な運行をしない西部運輸になら、安心して荷物を任せられる」。この信頼は、結果として長距離輸送の受注増加という形で跳ね返ってきた。特別講演に登壇した元日本航空(JAL)副社長・森田直行氏が「JAL再建」の事例で語った、「正しい経営と採算意識の両立」が、まさに物流の現場で実践されていると言えるだろう。安全と法令順守への投資が、コストではなく、明確に企業の競争力強化につながった証明だ。

▲元日本航空副社長の森田直行氏

教育のイノベーション、「やらされ仕事」からの脱却

今回、審査員やほかの登壇企業から最も注目を集めたのが、同社の「教育手法」の変革だ。コロナ禍で大人数を集める集合研修が困難になったことを機に、同社は「Web安全講習会」へと大きく舵を切った。

手法自体は動画共有サイトを活用して自社制作の教材を配信するというシンプルなものだが、その運用には徹底した合理性と計算が込められている。スマートフォンで2>次元コードを読み取りアクセスでき、場所や時間を選ばずに視聴できる利便性は、ドライバーにとって「休日に講習のために出勤する」という負担をゼロにした。会社側にとっても、システム導入コストをかけずに、2000人の全従業員に対し、わずか2週間程度で情報の共有・徹底が可能となった。従来は年2回だった研修頻度も、負担減により年4回へと倍増させている。

しかし、デジタル化の真価は効率化だけではない。「質の担保」にある。動画視聴後のアンケートでは、単に「見ました」というチェックボックスや「はい/いいえ」の回答では提出できない仕様になっている。具体的な意見や感想を文章で入力しなければならず、ドライバーは「内容を理解し、自分の頭で考える」ことを強制的に、しかし自然な形で促される。占部氏は提出されたアンケートの中からランダムに抽出して目を通し、形骸化を防いでいるという。

この点について、パネルディスカッションで特別賞を受賞したアトランシードの伊藤学明社長も、示唆に富む発言をしている。「ドライバーに『安全運転をしますか?』と聞けば、全員が『はい』と答える。しかし重要なのは、『はい』ではなく、『どうやって安全運転をするか』を具体的に言語化させることだ。それがプロ意識の醸成には不可欠だ」伊藤社長の言葉は、安全教育における「思考停止」の危うさを指摘したものだ。西部運輸のアンケート方式は、まさにこの「思考させるプロセス」をシステムとして組み込んだものと言える。

▲アトランシアードの伊藤学明社長

「心理」に訴える映像の力

さらに、伊藤社長の言う「言語化」の重要性に加え、西部運輸が巧みなのは「視覚」と「感情」へのアプローチだ。同社の教材動画は、実際のドライブレコーダー映像を用いた実践的なものだが、その演出にはドライバー心理への深い理解が窺える。

特に会場の関心を引いたのが、運送業界全体の課題であり、同社でも事故の約半数を占めていた「構内事故(バック事故)」への対策動画だ。雨の日や後続車がいる状況で、トラックから降りて後方確認をすることは、ドライバーにとって物理的に「面倒」であるだけでなく、心理的に「未熟だと思われるのではないか」「待たせて申し訳ない」「早くしなければ」というプレッシャーがかかる行為だ。

そこで同社が作成した動画は、単に「降りて確認しろ」と命令するものではなかった。「降りて確認することは恥ずかしいことではない。むしろ、大先輩が余裕を持って降りて確認している姿を見て、格好いいと思った。焦らず確認することがプロの仕事だ」──現場の若手ドライバーの本音と、ベテランの背中を対比させ、「降りる姿こそがクールである」と価値観を再定義するメッセージを発信した。

この人間味あふれるアプローチに対し、同じくパネルディスカッションに登壇した日本交通(優秀賞)の森晃太郎氏は、「熱量を持った情報を、全従業員に直接、かつ感情に訴える形で伝えられる非常に効果的な手段だ」と絶賛し、自社の新卒ドライバー教育にも取り入れたいと意欲を示した。他社の優れた取り組みが、業界の垣根を超えて共有される瞬間だった。

▲日本交通の森晃太郎氏

「西部ルール」と社会へのコミットメント

同社の安全への自信と覚悟を象徴するのが、独自の「SEIBU RULE」(西部ルール)の運用と、その社会への開放である。例えば、パーキングエリアでの駐車時には必ず輪止め(車止め)を実施するというルールがある。これを社内規定に留めず、占部氏は会場でこう言い切った。

「もし万が一、輪止めをしていない、あるいは煽り運転などをしている弊社のトラックを見かけたら、ぜひ通報してください。徹底して再教育します」

2000人の従業員を抱える企業が、公衆に向けてここまでの宣言を行うことは、並大抵の自信と覚悟ではできない。一般市民からのクレームや通報を「リスク」や「面倒事」ではなく、自社の安全レベルを高めるための「教育の機会」と捉え、安全指導部が責任を持って対応する。この「逃げない姿勢」こそが、西部運輸の「本気度」を物語っており、ドライバー自身にも「看板を背負っている」という健全な緊張感を与えているのだろう。

予防対策としての「文化の共有」

審査委員長を務めた関西大学の安部誠治名誉教授は、フォーラムの総評のなかで「事前対策から予防対策へ」というキーワードを挙げた。事故が起きてから対処する「事前対策」も重要だが、事故を未然に防ぐ「予防対策」こそが本質であり、そのためには他社の優れた取り組みを学び、自社に取り入れることが有効だと説いた。

また、基調講演を行った独立行政法人自動車事故対策機構(NASVA)の島添勝博氏が語った、交通事故被害者やその家族が背負う過酷な現実(脳損傷や脊髄損傷による生活の一変)は、改めて「安全」が何のためにあるのかを参加者に突きつけた。西部運輸の取り組みは、単に会社の利益を守るためだけでなく、道路を利用するすべての人々の人生を守るための「生存戦略」でもある。

Safety Driving Award 2025において西部運輸が示したのは、まさにこの「予防対策」の極致だ。過去の失敗を隠さず教訓とし、最新のデジタルツールと泥臭い心理的アプローチを融合させ、さらにそのプロセスを荷主や社会に対してオープンにする。「安全にはコストがかかるが、事故はその何倍ものコストと信頼を奪う」。その真理を体現し、物流危機を正面から突破しようとする西部運輸の姿は、これからの物流企業が目指すべき一つの到達点を示している。(菊地靖)

LOGISTICS TODAYでは、メール会員向けに、朝刊(平日7時)・夕刊(16時)のニュースメールを配信しています。業界の最新動向に加え、物流に関わる方に役立つイベントや注目のサービス情報もお届けします。

ご登録は無料です。確かな情報を、日々の業務にぜひお役立てください。