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自動化への準備が生み出す滑稽な光景/論説

2021年10月25日 (月)

話題少子高齢化と労働人口の減少が物流業界にもたらす影響は深刻——のような論調について、今まで違和感を感じつつもある程度の同意に甘んじてきた。しかしながら新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われたこの2年間を経て、やっと自分自身の「明日の物流」に対する理念の基調が定まったように感じている。(永田利紀)

それなりにやりようはあるはず

物流関連業種は、人口減少によるマイナス作用をモロに被る典型とされているようだが、個人的にはあまり心配していない。人手が足らぬなら、それなりにやりようはあるからだ。

市場の主である消費者は、製造や物流の現場労働力不足がもたらす事態とその対処について理解するに違いないと確信している。真摯な態度で明瞭な説明がなされれば、製造から消費に至る過程に存在する関与者全員が、それぞれに負担すべきコストや所用時間や省略や簡素化などについての新しいルールや制約に従うはずだと思っている。

「性善説が過ぎる」「お人よしだけでは事業は立ち行かない」という批判や異見があることは承知しているつもりだが、私は愚民思想や性悪に起点を置く思考ができないということをあわせて記しておく。

労働力不足の物流事情を解し、それに応じた時間や頻度の許容を認める空気が漂えば、時流に沿ったサービスとしての理解をする人々が大勢を占めるはずと予測する根拠は、市場が持つ合理性や最適化への調整機能に他ならない。

「自動化や省人化が進めば、そんなハナシは無用になる」という指摘については、その論旨となっているであろう前提条件に立ち返り、反論と説明をしてみたい。

総論には異議なし

到来間近の労働力不足による現場稼働制限。それに対する備えとして「自動化」「AI」(人工知能)「省人化」「多様多彩なロボット」「属人性の排除」のような流行り言葉の数々。

新種の利器やサービスの売り手からすれば、千載一遇の好機到来と躍起になるのは当然だろうし、着眼点も商品性も何ら疑いようなく秀逸なモノも多い。

しかしながら「人口減少は未曽有の危機なのです」という前提条件で始まるハナシがやたら多いことを苦々しく感じているのは私だけだろうか。

わが国における「少子高齢化→人口減少→経済縮小」には異議なしだ。しかし、労働力不足を補うにあたっての自動化や機械化の台頭は、必ずしも省人化・無人化と等式で論じられるとは考えていない。

なぜなら、AIや機械が担える守備範囲には四方八方ですぐに限界ラインが引かれるに違いなく、その線引き者は労働力不足に苦しんで自動化を求める事業者であることも矛盾を伴った現実となるはずだからだ。

本気が生み出す滑稽な光景

前述の限界ラインを越えての自動化や機械化は、「無理な状態」を維持するための労力や別建ての補完業務が多くの現場に影のごとく付いて回る。その理由は常に同じで、そもそもが非属人を叶えるための下地の整備ができていないために、目の前に数々の最新利器を並べられても上手く活用できない。

それはまるで見世物小屋で繰り広げられる、とある舞台の一場面を思わせる、高性能の機関銃で殴り合い——旦那様、それは殴るための武器ではなく、射撃するための道具です——という番頭はんや丁稚どんの胸中でのつぶやき。客席から観覧する者たちは、一様にまず唖然として、すぐさま苦笑ーー。

こんな舞台以上に滑稽な現実が、あちらこちらで見受けられるようになる。

身の丈に合わぬ、たいそうな道具はさっさと捨てて、取り回しの楽な使いやすいモノを手にすべきだという説教じみたハナシなど無用なはず。物流事業者も荷主企業の経営層も、そんなことは重々承知している。

ただ単に、現場について立ち止まって深く考え、関与者全員を巻き込んで広く盛んに議論し、最小最低限度の必要事案を意志決定し、即座に実行に移すことをしてこなかっただけだ。

「機関銃で殴り合い」の戯画を他人事として苦笑する前に、自社の現状を確認したほうがよいのでは?と老婆心ながら言い添えておきたい。

自動化の前提条件が自動化を不要にする

「機械設備やAIやその他補助具を導入できる現場環境を整える過程で、現状に比して大幅な業務合理化や簡素化が叶うだろうし、その果実として総労働力の削減がもたらす省人効果が得られるはずだ」といった考察と検証は全物流拠点に共通して適用できる。

言い換えれば、自動化導入という契機があったゆえに、業務フローの合理化や直列化が実現したのだ。その時点で機械や設備の新規導入など不要なぐらいの及第レベルに改善効果が至っているので、「もはや高コストをかけてまでの自動化は不要」という状態となってしまう。

何とも皮肉なパラドックスであるが、単なる仮想ではなく現実である。実例としてはまだ少ないが、今後は類似の報告が急増するに違いない。

「高額な設備投資はできない」「自動化を得るための床・壁・天井の改築改装、もしくは拠点移転などの付帯負担は重い」なども見過ごせない要因だ。

ノウハウ依存は本質を見失う

ここで強く訴えたいことは、時勢や流行などとして論じられることが多い「転ばぬ先の杖」や「傾向と対策」のようなノウハウ本依存状態に陥ることへの回避を心がけて欲しいという点だ。

誰かが仕掛けた流行や時勢という名を借りた「外力」の助けを借りなければ、自己変革や自浄作用を回復できなくなっている自社の実態と今一度向き合ってもらいたいと切に願う。

自動化のための環境整備や業過改善に取り組む覚悟に偽りないのであれば、まずは自動化という枕詞を外して、今すぐに改変や更新に着手してはいかがだろうか。

多面的で根本を問う改善や業務取捨の果てに、まだ不足や不安や不備が存在するのであれば、その時点で補完や代替のための利器類を検討材料としてテーブルに載せてもよいのではないか。

物流についてはどのような業種であっても、委託・内製を問わずいかなる業務形態であっても、本質的には自前物流であることが基本だ。

自社の物流作法とその価値想定が出来ていないなら、いつまでたっても物流機能を仕入れ続けなければならない。物理的な自前主義は必ずしも必要ないにしても、委託先に依存したり、翻弄されるような無力な他力本願は禁忌としなければならない。

自社の顧客への最終サービス、もしくはその水際を支える機能が物流なのだから、相応の経営原資と労力を費やすのは当然のことだと言えよう。

道具は重宝だが

誤解なきように書いておくが、昨今の各分野に投入されようとしている利器の数々には大いに期待している。デモや導入実例を見学した際にも、感動や驚嘆に終始したことも数知れずだ。道具の進化は目覚しい限りで、今後もさらなる多様化や簡易化が進むことは疑いようのないところだと思う。

それ以前のハナシとして、道具が活躍するのは切り取られた場面や特定条件下の状況においてであり、その環境が用意できない使用者には無用の長物となってしまう。

動き回るロボット達の足下に在る床面には凹凸や段差などなく、棚やネステナー間には、フォークリフトの稼働域以上の広い通路が確保されていることも珍しくない。庫内のあちらこちらで、通路をパートさんが小走りで横切ったり、バイト君が手押しフォークを斜めに飛び出したまま置き忘れていたり、棚振り前のカートンが通路に並びひしめいていたり、はしない。

高い天井高や広い柱ピッチ、広大な床面積を余すことなくカバーしているWi-Fi環境ーー。このような前提条件設定に必要なコストに対する効果の試算を偏りなく行える事業者は極めて少なく、試算そのものを外注しようにも、物流業務自体への理解が足らぬ士業ばかりが候補に挙がるのみだ。

結局は基本に戻って、業務フローの再確認や作業天順書の検証作業を地道に行うことになるはずだし、それが最短ルートで最適手法とみなしてよいだろう。

開発の先にある未来空間がもたらす利便は計り知れぬ。しかし、その前に道具の使い手として整えておくべきことを飛ばしてはならない。

さらに先んじて、現状から縮小することを恐れなければ、それなりの生き方は見つけられるはず、と考えることも必要ではないのかと思う。

道具活用による合理化や効率化には大賛成だが、基本事項をおろそかにしながらの機材依存はいただけない。

全体の縮小を受容するものの、個々の生産性は維持する。山椒は小粒でピリリと辛い。そんな表現が似合う国として、そして事業者として存えるための議論を大いに行ってほしいと願ってやまない。