ピックアップテーマ
 
テーマ一覧
 
スペシャルコンテンツ一覧

LOGISTICS TODAY「物流ロボット特集」

自動化は小判の山、と慌てる猫にならぬよう(下)

2022年6月14日 (火)

話題LOGISTICS TODAY企画編集委員・永田利紀による連載企画「自動化は小判の山、と慌てる猫にならぬよう」。前回は、物流現場における自動化を決める前に踏まえるべき思考や認識について考えた。ここでは、「自動化の下準備を進めることは、自動化の必要性を減じることと同じ」との思考に基づき、自動化要件を満たすための現場整備の重要性を提言する。

自動化は「小判の山」なのか

「猫に小判」のたとえを持ち出すまでもなく、自動化導入に無理がある事業者は多い。しかも未だ進化の最中にある自動化のあれこれを前にして、自社にとっての小判なのか否かを測定・判断できる予見者も少ない。

その理由は、きら星のごとく次々と発表される最新の利器類やシステムの価値・効能の判断が難しいというだけではない。それ以上に、自社が自動機器類のデモンストレーションや想定効用の場面、つまり正解や成功に至れるのか否かの想像が難しいからだ。

自動化導入するにあたって、「わが社は虎視眈々と未来を見つめ」と意気軒高な事業者の今現在の外見は子ネコか子トラなのかよくわからない。時間が経てはネコは猫になりトラは虎になる、に違いないが、「果たして虎だと思い込んでいる事業者の実態が物流に関しては猫だったらどうするのだ?」と問わず語りしてみるが、その先は言わずと知れている。

「物流機能の自動化における猫に小判の光景とは」なんていう喜劇的悲劇は回避して頂きたいと願う。

「わが社は猫ではなく虎なので」という猛者を自認する事業者各位に対しても「そうは言っても虎も猫科なのですよ」と皮肉交じりの憎まれ口を吐いておきたい。転ぶ前に杖を差し出すお節介者と疎まれるのは本望だ。

憎まれ口や疎まれるお節介には、それなりの方法論が必要だが、この原稿を書き始めるにあたって「自動化の下準備を進めることは、自動化の必要性を減じることと同じ」と呟くことが何度かあった。

「自動化の下準備を進めることは、自動化の必要性を減じることと同じ」の意味するところとは

自動化に耐える環境整備を獲得済みもしくは進行中の事業者は、おそらく業務品質についての自動機器の恩恵を付加価値やダメ押し機能として享受するだけだろう。言い換えれば、あくまで部分的な補助や予備としての付加価値として認めることはあっても、主要機能を一任するまでの依存はあり得ないはずで、それは自動機器やシステムを評価していないのではなく、必要性の主軸とならないからだ。

矛盾するようだが、自動化という言葉の実務的な必要性や重要性の低い事業者ほど、自動化の恩恵を受けられるのではないのか、が現場感覚としての実感だ。

逆もまた真なりで、現場の手順整理や作業環境の整備が不足している事業者にとっては、自動化は面倒事の増加にしかならないだろう——。というのも同じく現場感覚としての確信に近い。

つまり自動化は今現在すでに秀でた物流品質を保持している事業者をいっそう強く早く安く上手くする一方で、基本的な作業手順や基本的なデータ整備の未熟な事業者にとっては、既存の作業手順の断裂・迂回や二重化を生み出す厄介な重荷となる可能性が高い。

数ある問題点の中でも最大の関門は商品マスターの整備であることは、現場業務改善やRFID導入などに関する今までの拙文で言い続けてきたとおりだ。掘り下げれば、商品マスターは仕入と販売の実像を映す鏡なので、その整備は物流部門だけでは完結できない。

「物流現場は商品マスターが支配している」ことは、自動化の進展が顕著になればなるほど歴然としてくる。マスターの統一書式による運用やイレギュラー特例の消込および書式変更なくして、今後繚乱するであろう自動化をもたらす利器類やシステムの恩恵は望めない。

つまり現状の混乱の元となっているデータ不備や業務フローの複雑分岐や作業手順の冗長性・複雑性・属人性を排除せぬままに最新システムを投入すれば、猫に小判を与えるに同じとなることは必至だ。

二律背反を認めたうえでの地道な改善を

上述のとおり、自動化に障害多い事業者ほど、自動化への意欲が高い。その第一は慢性的に人が足らないからだ。国内の物流拠点では総じて人が足らない。しかし同じように「足らない」と表現しても、内実は事業者によって大きく異なる。

地域の絶対的な労働力が不足しているので、作業手順を極限まで削ぎ落し、総労働量を最少化しているものの、採用すべき人材の絶対数が通勤可能圏内に不足している——。こんなパターンなら、自動化の進化普及は福音となるはずだ。優れた作業手順を運用している現場なら、自動化を実現してくれる機器類や各種システムの導入と機能代替や補完補助にあたり障害は少ないだろう。

反して、作業の手数が多く、庫内動線の脚数も多く、事務書類の書式が多く、曜日波動・月波動の平準化意識が薄弱で、属人業務多数——。こうした現場には自動化の恩恵は絵に描いた餅でしかない。

(イメージ)

毎日がギリギリで、スタッフは連携や協働に馴染みなく、多能工化(マルチスキル化)もかけ声ばかりで実効性に欠けて久しいまま。そこに部分的自動化を持ち込んだとしたら、その自動化を自動化たるように維持するアナログ作業が新たに発生する。結局のところ、足し引きすれば作業数も時間も良くて横這い、一般的には増加というのが実状だと思う。

時間が経過し、自動化との共存にも慣れてきたら、やっと従前を凌ぐ時間効率や容量の確保が叶うはずだ——。というコメント自体が俗人の極みであり、平たく言えば慣れとルーテイン定着に一定の時間が必要という、いつか来た道を歩くような状況となっている。

つまり、すんなりすっきりの起承転結ではなく起起承承転転転結結結のような作業チャートが常態化しているのだが、自動化するにあたり「生みの苦しみである」と納得している管理者や経営層のなんと多いことか。彼等にしてみればボーっと生きているつもりなど微塵もないはずだというのは理解できる。しかし無用な難産にもかかわらず見当違い甚だしくご満悦の一方で、現場はより歪化し、部分的多重作業の出現にスタッフは翻弄される。

そしてまた人が辞めてゆく。労働環境と内容がよろしくないので人が辞める。できる人材から辞める。使用していた労働者から管理者や経営者が見切りをつけられているのだが、その事実に気付かない。

それどころか退職者は悪者か不適合者にして収まりをつけている。「人に恵まれない」という愚痴や滑稽な責任転嫁はもはやあたりまえの事実として根を張っているような現場は多いが、不遜さとは一朝一夕に変質できるものでもないのだろう。

なので「自動化して人依存から脱却するのだ」という目論見は、その起点からすでに間違っていたのではないのか、という振り返りをする者がいない。もし気付いているとしても、声を上げぬか、思い切って進言しても聴く耳を持たぬのかならば、現場の自動化どころか現状改善すら一歩も進まないのは当然である。

要件整備、それは自動化への第一歩だ

自動化したいならばまずは自動化要件の整備を。自動化の要件とは、業務フローの整備と改善、さらにはそれに応じた作業手順を極限まで簡素化すること。現場以前の大命題は商品マスターの標準化。個性や差別化による競争力は、商材やサービスに集中させ、物流技術や作法で必要以上の独自性を突き詰めたり頑固に個性化しない。

ありきたりな商品マスター、ありきたりな業務フロー、ありきたりな作業手順。ごくごく平凡な物流作法を非凡なまで徹底的に追求してやり切る。自動化への近道――。それは標準化できていない現場の地道な整備に尽きる。

自動化要件を満たすための現場整備が前提条件の第一。その過程の進行は自動化のもたらす効果に近似してゆくに違いない。

「自動化するつもりで現場改善を断行したら、自動化の必要性が弱まってしまった」。それはそれでいいではないか、というのが私の素直な感想だ。

(上)を読む<<

■物流ロボット特集