ロジスティクス教科書は単なる本ではない。法律が全国の児童生徒への完全供給を発行者に義務づける、日本最大の確定需要である。7日、政府はそのデジタル版を正式な教科書に格上げする学校教育法改正案を閣議決定した。教育のニュースとして広く報じられたが、物流の側から見ると別の論点が浮かぶ。地方の学校に毎日モノを届けてきた配送網が、その採算を支える最後の柱を失おうとしている。(編集長・赤澤裕介)
教科書取扱書店は1998年に4040店あった。それが26年4月時点で2498店まで減った。28年間で38%、年に55店ペースで消えている。出版文化産業振興財団(JPIC)の調査では、書店ゼロの自治体は全国の28.2%、村だけに限れば88.5%にのぼる。大阪の老舗書店経営者は、いま残っている書店の多くが学校や図書館への公共販路を持つとみる。教科書を扱えなくなれば、地方の書店経営は成り立たなくなる構造がある。
理由は利益率にある。一般書籍の書店粗利は20%前後だが、教科書取扱書店が受け取る供給手数料は定価の4-8%にすぎない。小学校1年生7教科の合計定価は4249円で、児童1人あたりの書店収入は数百円にとどまる。それでも書店が教科書を扱い続けてきたのは、教科書の配送ルートが副教材、ドリル、テスト、教師用指導書という粗利20-30%の周辺商品を学校に届ける唯一の入り口だからだ。教科書が固定費を分担し、副教材が利益を稼ぐ。商業施設のアンカーテナントとサブテナントの関係に近い。
神奈川県厚木市の教科書取扱書店、内田屋書房は自社で扱う教科書と副教材を年間45万冊と公表している。新1年生1人が受け取る教材の重量は8-13キロにのぼる。一例にすぎないが、教科書配送が「ついで」の規模で済む業務ではない。
末端の取扱書店2498店の上に、各都道府県に1社ずつ配置された特約供給所53社が乗る。発行者から教科書を受けて取扱書店に卸し、需給調整、過不足調整、残本回収、代金回収までを担う。さらにその上に、自前の物流を持たない発行者を代行する大取次6社がある。「教科書の発行に関する臨時措置法」第10条第2項は発行者に対し、教科書を需要に応じて各学校に供給するまでの間、発行に関する一切の責任を負うと定めており、礼文島から宮古島まで全国統一定価で確実に届けることが法的責任となる。この完全供給義務を物理的に支えてきたのが、6社、53社、2498店の三層構造である。
一般社団法人教科書協会は近年の年次報告で、この三層構造の末端に課題があると認めている。「後継者不足、複雑な供給形態への対応などにより経営の維持が年々厳しくなり、教科書の取り扱いの辞退や廃業が続いている。全国の子供たちへ確実に教科書を届けるという完全供給に支障をきたすおそれが出てきている」。経済産業省の書店振興プロジェクトチームが24年にまとめた資料も、低利益率により「中小の書店によっては受託することが困難となっている」と指摘した。教科書定価は文部科学大臣の認可制で公共料金的に低廉に抑えられてきた経緯があり、原材料が上がっても十分には転嫁できない。配送網の採算余力はすでに薄い。
都市先行のデジタル化、地方の採算逆転
ここにデジタル教科書の正式化が加わる。
7日の閣議決定は紙とデジタルの選択制を採用した。各教育委員会が「紙のみ」「デジタルのみ」「ハイブリッド」の3形態から選ぶ。27年4月施行を目指し、28年度新検定、29年度採択、30年度から教育現場での使用が始まる。松本洋平文部科学大臣は閣議後の記者会見で、一律に全てをデジタルへ切り替える考えはないと説明している。紙の選択肢は残る。
それでも物流の側には別の論点がある。デジタル化は都市部から地方へという順番で進む可能性が高い。通信環境、自治体の財政力、教員のICT習熟度、いずれも都市部の方が整っている。先にデジタルを選ぶのは、配送効率がもっとも高い地域である見込みだ。残るのは、配送密度が低く1冊あたりの輸送コストが重い地方の学校になる。需要の絶対量が減るだけならスケールが小さくなるだけだが、需要密度の低下は配送単価そのものを押し上げる。地方残存需要の採算は、都市部のデジタル化が進めば進むほど悪化していく方向に動く。
ここに2024年問題が重なる。NX総合研究所の試算では、対応が進まない場合、30年度に国内の営業用トラックの輸送能力が34.1%不足する。前出の経産省書店振興資料も、出版物流は運賃が低いため採算が合わず出版輸送から手を引く運送会社が出ており、配送網の維持が困難になっていると指摘している。教科書配送は3月中旬から4月初旬の2-3週間に集中する季節波動商品で、年度末の引っ越し需要とも重なる。ピーク時の輸送力を毎年確保すること自体が年々難しくなっている。
海外の事例は、急ぎすぎた場合に何が起きるかを示す。韓国では本格導入の後に法的位置づけの見直しが起き、関連予算も大幅に縮小した。スウェーデンでも長年の全面デジタル化の後、紙の教科書への回帰に伴う再投資が始まっている。一度細らせた紙の供給網を再構築するコストは相応に大きい。日本の閣議決定が選択制を採用したことは、こうした教訓を踏まえた現実的な判断といえる。
ただし選択制は紙の供給網を自動的に守る制度ではない。需要密度が下がるなかで誰がその採算を引き受けるのかという問いに、この閣議決定は直接の答えを用意していない。教科書取扱書店の経営、特約供給所の負担、大取次の事業構造、地方の中小運送会社の継続性、自治体の教育予算、これらは個別の問題として論じられてきた。だが、6社、53社、2498店という三層構造を一本のラインとして見れば、そこを流れる年間1億3000万冊の確定需要が、地方の学校向け配送網全体のベースラインを形づくってきた。デジタル教科書の正式化は、その流量を中長期的に細らせる方向に作用する。
紙の教科書はなくならない。配送網も明日消えるわけではない。それでも30年度を起点に、地方の学校向けラストワンマイルが何によって支えられているのかという問いは、物流業界が正面から考える課題に変わる。教科書を本として見れば、教育のニュースで終わる。制度需要として見れば、地方配送網の問題に変わる。
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