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論説/「近所に倉庫ができる」ということ

2021年5月17日 (月)

話題先月に読んだ米国の物流業界誌のコラムの中の一文「Communities: We don’t want to be your neighbor」(我々地域住民は貴社の倉庫開発に反対です)が気になっている。それはコロナ禍になって一層需要を増している、ECをはじめとする小売業態向けの倉庫建設に関する記事で、好悪双方の要素について指摘していた。(永田利紀)

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なかでも実例として挙げている「倉庫と地域社会の共存」については、自身が過去に話したり書いたりしてきた内容と重なるところが多かった。大型倉庫や配送センターが生み出す地域雇用、周辺道路の拡幅と街路樹のある歩道整備や提供、一部資金拠出で設けられる緑地公園、災害発生時の避難施設としての地域貢献と防災インフラ化などは、自治体と立地地域にとってプラスである。

一方で、大型車両の往来や交通事故の増加、交通渋滞などへの危惧は、同時に指摘される事項でもある。国民気質や住環境の違い、行政の規制や認可基準と介入の度合いの差はあるものの、記事にある倉庫と地域の問題は非常に興味深く、対岸の火事でも他人ごとでもないと感じるのは、読者諸氏も同じではないだろうか。

まだ日本国内では顕在化していないだけで、遠からず関東や中部、近畿圏を皮切りに、大消費地近郊で起こるに違いない現象――米国型とは似て非なる物となるかもしれないが――という視点で書いてみたい。

配達の最良条件は「近い」

利便と生活環境の両立は、往々にして背反する要素となる。それは自動車の利便・効用と交通事・公害の併存が不可避だったという身近な事例からも明らかだろう。より早く、より細やかに、より便利に、より安く、より手軽に、より単純に――といったことを現実化するためには、それ相応の物理的な仕掛けが必要となる。

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物流についていえば、まずは自動車やドローンなど配送ビークルの自動化・半自動化、倉庫内でのロボット稼働による省人化や属人性の排除などが、その第一に挙げられる。機器や設備の仕掛けにとどまらず、さらに突き詰めるのであれば、時間とコストと労働力の切り詰めの最難関部とされる、配達業務の抜本的改変が避けて通れない。

配達経路が単純で距離が短いほど配達効率は上がる。単純な一方通行型の配達もしくは双方向化ともいえる再配達、一時預かりや指定場所配達の別なく、「近い」こと以上の好材料は存在しない。少なくとも巷で流行り言葉となっている「ラストワンマイル」についてはそう断言して支障ないだろう。

そうなると、ひょっとしたら未来のDCは、コロナ禍による店舗経営の苦難や行政主導のテレワーク推進以前から、地域によっては完全なオーバーストア状態に陥っていたGMSやショッピングモール、主要道路沿いのロードサイド大型店、駅前のオフィスビルなどがその役割を担うかもしれない。物販テナントの新陳代謝は今後も一定数見込めるとしても、用意されている床面積を埋めるだけの需要はない。

ここ数年来のEC売上比率の上昇や、実店舗とECの売上構成比の逆転などの流れは加速する一方で、コロナ禍はそれに強烈な拍車をかける想定外の動力となった。近隣の需要を超える過剰供給による不採算化で退去せざる得ないテナントや、先細りを嫌っての早期撤退を決定する事業者も多いはずだ。

事業縮小ではなく、実店舗からECへの切り替えが動機の大勢を占めるに違いなく、意思決定が遅れるほど事業運営は厳しくなる。以上のような状況を整理すれば、遠からず駅前の商業施設や商業エリアの大型店舗撤退、大幅な利用方法の再考などは不可避だと考えられる。

役目を終えた学校なども候補に

子供がたくさんいた時代に称されていた校舎なども、再生利用される可能性が充分に見込める。体育館や講堂はフラットで大きな床面積が倉庫に好適だし、校舎も上階への荷役設備を後付けできれば、それなりに使用可能だ。運動場はヤードと駐車場として舗装する。

その場合は周辺に存在する住宅地との関係や配慮が必要となる。冒頭で挙げたコラム記事の一文にあるような事態は、避けなければならないことの典型といえる。

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学校や公共施設の再利用は、大都市部よりも地方都市でより数多く検討されるだろう。地方自治の財源確保は厳しさを増すばかりの今、生き残りのための自治体合併は活発になる。

合併により重複する同一機能もしくは類似施設が余剰となり、運営費削減のために改廃される。それらの多くは再利用されることなく保存・放置されたまま時間が経過するものも多いはずだ。

もし、生活物流を支える倉庫や配送センター機能を有する施設として生まれ変わるならば、自治体にとっても住民にとっても、利益となることは明白だろう。商業施設も教育施設も、日常の買い物に支障なかった立地で、かつ子供が通学するのに支障なかった立地なのだから、「迅速で頻繁な往復にも支障ない立地」と置き換えてもいいと考えている。

併存するメリットとデメリット

また、昨今流行りの倉庫施設の巨大化・近代化は長く続かず、今後は生活圏の中心部から半径20分程度の域内をカバーする、小規模拠点の配置が主流となるような気がしてならない。なぜなら購買行動の開始から配達完了までの一連の行為が、AIとインターネット環境の進化によって、個人ベースで高頻度化する方向に向かっていることはほぼ間違いないからだ。

短期間における複数回の購買やそれに伴う細かい内容変更も、即座に作業への反映が可能なシステムの構築と、冷凍冷蔵設備の広範な普及によって、オペレーションが成り立つようになる。実証実験段階にあるいくつかのサービスをつなげたり入れ替えたりしてみれば、ECやBOPIS、C&C(現金払い・配達なし)が混在する、高頻度・少量購買の一般化はもはや疑いようのないところに迫っている。

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生活物流とも呼べる日用品や食料品の配達サービスを支える倉庫機能の確保――それには地域にとってのメリットとデメリットを併せ呑むことが求められる。メリットは何と言っても、住民の生活インフラとして物品受領の選択肢が増えるという点だ。

「物を買う」という行為が多様化し、より簡易で一般化すれば、個人それぞれの暮らしにあわせた組み合わせが可能になる。それが買い方だけでなく、届け方や受け取り方にまで至るのならなお良い。かたや、配達拠点の周辺部では車両往来の増加が招く交通渋滞や交通事故の危険性、早朝・深夜操業もしくは24時間稼働による騒音や光害などは、利便の日陰のごとく社会問題として危惧され、問題視されるに違いない。

例えば消防署や病院は街の機能として不可欠だが、その施設近辺に住まう人々が直面する緊急車両の大音量や、頻繁な車両発着などの生活環境問題はもれなく併存する。原発や軍事施設の問題とも本質的には同じだが、それを併せ呑むか否かは民意の大勢がいかにあるかによって決すべきだ。公正な調査による世論として、衆人の発言やアンケート統計の集計開示が必要でもある。

公的施設でさえこのような問題を抱えている現状で、民間や官民協業での生活物流を支える倉庫機能の運営については、もしもその建屋が住宅街や教育施設の近隣であるなら、地域全体の理解や条件なき許容を得ることは、時として至難となるかもしれない。

以前なら用途地域の厳粛な切り分けによって、倉庫や工場施設の周辺で起こりえなかった事態の出現は、活発な特区認定や複合施設化による特別認可などで珍しくなくなっている。計画発表の当初は無難であっても、その後に想定される種々のクレームや制限・停止の要望に楽観は禁物だろう。

倉庫の基本は自己完結

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今後は事業者の運営方針や地元対策の発表に対する、住民間の意見分散や、申入れ事項統一の不調が増えるのではないかと考えている。発展や進化が必ずしも理想や希望とならない、という類の価値観の差がますます顕著になるに違いないし、むしろそちらのほうが自然な成り行きだと思える。

したがって倉庫事業者、特に大規模開発を伴うデベロッパー的な企業や委託元の事業会社は「地域融合型」を謳いつつも、原則的には「自己完結できる施設運営」を旨としなければならない。今以上に多様化する個人の生活スタイルや要望には耳を貸しても、斟酌のためにいちいち歩みを止めていては、事業は進まない。一定の説明責任や猶予期間を設けた後は、粛々と進捗を維持するのみだ。

倉庫事業者が持つべき覚悟とは、地域に期待しすぎないことである。と言うと気概や熱意に欠けるように聴こえがちだが、実はその割切りこそが責任の範囲を名言し、貫徹を心がけている証でもある。大人の分別として「できない約束や甘言は発しない」という意でもある。

米国と比して、圧倒的に国土面積が小さいわが国。その観点からすれば、現状でも「生活圏至近の倉庫」は数多いと言える。「倉庫が近くにやってくる」は「倉庫と配達の機能がより手軽で身近に感じられるようになる」と訳して捉えるべきではないか。他業界での事例も参考にしつつ、「できること・できないこと」ではなく「すること・しないこと」の議論を望む。