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コラム連載

「『受け取りかた』が物流を変えるとしたら」第2回

2021年11月22日 (月)

話題永田利紀氏によるコラム連載第10弾「『受け取りかた』が物流を変えるとしたら」の第2回をお届けします。第1回は、「届ける」と「取りに行く」の均衡点を探り当てる必要性について触れました。今回は、アマゾンとウォルマートの「受け取りかた」をめぐる攻防について分析します。

第2回「毎日買い物をする」

「Amazonで販売するブランドの約50%はウォルマートでも販売しており、オンラインで購入する場合でもウォルマートを選ぶ消費者が増える」という主旨の論調は、今や米国内では一つの事実として認識されているらしい。日本在住者には実感がわきにくいことは否めないかもしれないが、下記のように、

アマゾン:受動的受領スタイルが主体
ウォルマート(BOPIS型購買を想定):能動的受領スタイルが主体
※受動的受領=購買品の配達受け取りを自ら指定した場所で待ち受ける態様
※能動的受領=購買品の受け取り場所や時間を自ら定めて赴く態様

と補足すれば、なんとなく納得できるハナシになるかもしれない。

「なんとなく納得」の中身とは

ここで立ち止まりたいのは「なんとなく納得」の中身についてだ。わが国でも現在主流の受動的受領と能動的受領が逆転する日が近いと確信しているので、その前提条件で思考を動かしていけば、必然的に上記の「なんとなく納得」が「はっきりと納得」に置き換わる。買い物には必要なモノを購入するという目的以外に、「あれこれ迷い楽しむ」「売り場での目移りが発見や驚きや感動につながった」などの副作用が付いてまとう。かつての「欲しいけど、荷物になるし」という購買抑止思考は、自家用車の普及により大幅に減少し、キャッシュレス決済は財布の中身という言葉を死語化しつつある。

(イメージ)

無論だが、ECの仮想店舗でもあれこれと買い物を楽しむことはできる。毎度一人きりで画面に向き合うばかりではないだろうし、PC用モニターではなくテレビ画面上で同様の作業を行えることが一般化すれば、同居者もしくは近隣の知友人が揃っての買い物時間となる。ただ、売場の雰囲気や視聴覚への生の刺激は得られない。「生気」「臨場感」という言葉を実感できるのは、実店舗での買い物なのだ。

しかし店は遠いし、購入品を持ち帰るには体力に不安があるし、何よりも往復の手段が限られている。こうしたマイナス要素を埋め合わせるサービスは、物流機能の拡大転用でまかなえることがほとんどだ。たとえば、生協ユーザー間では大好評の、店頭購入品を宅配するサービスも、今後増加の一途となることはあきらかだ。そのような買い物補助機能は、運転免許証返納後の高齢者にとって生活インフラとして必要不可欠となる。

同時に貨客混載の規制緩和がより拡がれば、商業施設への送迎にはもれなく自宅までのポーターサービス付き貨物機能が装備されていることが当たり前となるだろう。

リアル店舗での購買活動は「刺激」「思考」を生む

ネットスーパーでの購買と宅配、移動販売車の巡回なども、配達者や販売者との接触が確保されることで、小さなコミュニケーションを生み出す効果が期待される。しかし、前述したように、複合商業施設や大規模スーパーマーケットなどでの購買行動が持つイベント性が生み出す副作用には及ばない。

生活の質という観点からも、日々の外出や他者との交流や購買行動は「刺激」「思考」を発生させるに最も適した仕掛けとなるに違いない。それが身構えた意識や準備なく、日常生活のサイクルに組み込まれることは益多いと考えられる。ウォルマート躍進の理由には、このような要素が含まれていると想定して無理ないだろう。ただし「あくまで理由のひとつであって、もっと重要視される要素がある」と付記しておくことを忘れてはならない。

ほとんどの世帯がほぼ毎日買い物をする。場所が店舗であったり、ECであったりすれども、どこかで何かを買う。その購買対象となるために、販売者たちはしのぎを削る。

アマゾンが満たせないモノ、それは「拘束時間」

そんなことを想う中で、ふと疑問が湧く。ECでの購買品を実店舗連動型のオンラインですくい取ることが、ウォルマートがアマゾンに仕掛けた逆襲の要なのだろうか。その答えは「否」である。

最大の要因は利便の評価に不可欠な「時間」と「受益」の多様性を酌んで、丁寧に的確に応じたからではないかと思う。では、場所と時間を選ばずに何でも購買でき、ずば抜けた技術と消化能力の物流機能によって当日か翌日には品物が届く…。そんな神速の巨人とも謳われるアマゾンが満たせないモノとは何なのか。それは置き配についてまとう「紛失不安」や「この品物には不適」の後に見舞う、さらに強い嫌気要素…。つまり宅配での対面受領が強いる「拘束時間」の存在ではないだろうか。

(イメージ)

素晴らしく合理的で、研ぎすまされたシステムによる利便性は、購買者に受動的な受領行動を強いてきた。その受動的受領行動には一定の我慢やルールが付いてまとう。そこを嫌気するユーザーに支持されたのは、自分の都合で時間と手間の調整が完結できる能動的受領システムであり、その主柱に来店特典や「ついでの用足し」機能などのうれしい枝葉をぶら下げたのがウォルマートだった。

今ではそれをBOPISと呼んで、購買から受領完了までの標準的な仕組として認めているのがアメリカ合衆国市場である。言うまでもなく、時間拘束の嫌気やついで買いなどの効用に気付かないアマゾンではないが、一向に増える気配がない提携施設に受取用ロッカーを置くことだけでは、能動性の付加を訴求するに足らぬと言わざるを得ない。

ECは物流機能をどう変えていくのか

EC拡大から派生した多様化が進む米国。急ピッチでのインフラ整備と相まって、内需拡大目途の飛び道具として、ECへの傾倒が当面続く中国。来るべき人口爆発と消費拡大を目前にして、いかなる方法論で物流機能を葉脈のように巡らせ、国民生活の豊かさや品質向上に寄与させるか模索する新勢力の国々。わが国によらず、今後のEC市場はどのように推移するのだろうか。それによって物流機能を取り巻く環境はいかに変化するのだろうか。

今現在の情報と、その延長線上に待ち受けることを思い浮かべて、次章以降に書いてみたい。

―第3回(11月29日公開予定)に続く

「『受け取りかた』が物流を変えるとしたら」第1回