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首都圏バックアップ機能を持つ国際戦略港湾「阪神港」を神戸と支える

大阪港、「天下の台所」パワーで関西の通商を守る

2022年6月1日 (水)

話題古代の難波津をルーツに、江戸時代には各地の物資が集まり取引された「天下の台所」として発展した大阪。奈良時代の大輪田泊をルーツに近代以降は世界有数の国際港湾都市として隆盛を誇った神戸。関西における経済の発展は、これら2つの港湾都市の存在があってこそ実現したと言っても過言ではない。

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そして現在。2つの港は「阪神港」として、相互に機能を分担しながら関西を起点とする海上輸送の活性化に向けて取り組んでいる。政府からはスーパー中枢港湾の指定を受けて、京浜港とともに国際コンテナ戦略港湾の一角を担う存在だ。

今でこそ阪神港として協調路線を模索する両港だが、かつては関西における港湾機能をめぐる覇権を争う関係にあったことは、もはや過去の物語なのであろうか。ここでは、関西における港湾輸送の機能を二分してきた大阪と神戸の関係性をひもときながら、阪神港のあるべき姿について考える。

近くて遠い「神戸港」と「大阪港」

近代における大阪港と神戸港は、そもそも建設主体が異なる。明治以降に政府が主導して国際港湾として整備を進めた神戸港に対して、大阪港は大阪市が自ら建設して運営に携わった。同じ大阪湾を囲む両港だが、明治以降の阪神工業地帯の発展を背景とした関西の高い経済力は、首都である東京をもしのぐ勢いを誇った。それを支えたのは、まさにこれら2つの港だった。

戦後、復興とともに経済成長を続ける日本経済を支えたのは、むしろ国際港湾として整備が進んだ神戸だった。横浜とともに国内の輸出入を担う港湾として世界でも有数の貨物取扱量を誇った。一方で、大阪港は戦後の復興による港湾機能の再整備は限定的で、「関西の海の表玄関は神戸」との認識もあって戦略的な港湾運営は必ずしも積極的ではなかったとされる。激しい被災に加えて、河川港ということもあり戦後の大型台風での災害復旧に注力せざるを得ず、予算が回らなかったという。

そんな大阪港が復権に動き出したのは、コンテナ化に対応し始めた1960年代後半のことだった。

「阪神工業地帯の物流機能を担うのは大阪港だ」、その実現に向けた秘策は

「どうしたら神戸港に近い機能を大阪港に持たせることができるか。こうした問題提起が、大阪港復権のスタートになった」。こう振り返るのは、五十嵐英男・元大阪港湾局長だ。

▲大阪港の「復権」に尽力した五十嵐英男・元大阪港湾局長

定期航路が就航する国際貿易港の神戸港に対して、大阪港は不定期航路の寄港する場所。これが、当時の関西における港湾の一般的な機能分担だった。

しかし、大阪港を管理する大阪市には新たな思惑があった。阪神工業地帯が生み出す電気機器をはじめとする工業製品は国内に普及するだけではく、世界に輸出されている。こうしたメーカーの製造拠点は、大阪府の沿岸部だけでなく内陸部にも広く分布している。「こうした工場の最寄りの港は大阪港だ。荷主がたくさんいる。そこで着目したのが、コンテナ船の誘致だった」(五十嵐氏)

当時、国際貿易における貨物輸送は、大型船舶に直接積み込む方式から、コンテナによる箱詰めスタイルへの転換が加速していた。コンテナを使うことで荷役の作業スピードが高まり、定期貨物船による効率的な海上輸送が実現した。しかし国内には当時、コンテナ船を専用に扱う岸壁がなかった。大阪市はここに着目したのである。

こうして1969年、大阪港に国内初のコンテナ船専用岸壁が開業。ついに大阪港の復権の狼煙(のろし)が上がった瞬間だった。

「コンテナ船専用岸壁」で大阪港復権へ

コンテナによる貨物輸送は、国内を含む世界の海運業界に瞬く間に普及。大阪市は電気機器や食品など裾野の広い産業を背景に、大阪港でのコンテナ貨物の取り扱いを拡充していく。1974年には豪メルボルン港と姉妹港提携を締結。その年には、大阪港のシンボルとも言える阪神高速道路湾岸線の港大橋も開通するなど、世界に通じる大阪港としての名が知られるようになっていく。

五十嵐氏は振り返る。「『神戸港に少しでも追いつこう』との気概が、コンテナ船専用岸壁の開設を契機として湧き上がった」。歩調を合わせて、1958年に造成が始まった大阪南港地区でも国際港湾を意識した機能がそろい始めた。1985年には上海との間で国際フェリーが就航。2年後には、開港120周年記念のメルボルン・大阪ダブルハンドヨットレースがスタートするなど、大阪港の発展に花を添えた。

大阪港の“復権”はバブル経済も後押しし、「メイドインジャパン」ブランド人気で電気機器などの輸出が増加。1994年に関西国際空港(関空)が大阪府南部の泉州沖に開業したことも、大阪港にとって追い風になったことは否めない。

大阪と神戸の港湾機能バランスを一変させた大震災

そんな矢先の1995年1月17日。神戸港と大阪港が歩む運命を決定づける出来事が起こる。阪神・淡路大震災だ。

明石海峡を震源とする未明の大地震は、神戸港に壊滅的なダメージをもたらした。神戸港では液状化現象が発生し、海中に転落したコンテナやトレーラー。倒壊した海上コンテナ荷役用のガントリークレーン。そして衝撃を与えた阪神高速道路神戸線の倒壊。神戸を中心とする物流は陸上・海上ともにほぼストップした。

その代替機能を担ったのは、ほかでもない大阪港だった。神戸に入港している海運会社が大阪港を経由して貨物輸送を行うようになると、その利便性を再認識する動きが広がるなど、少なからず大阪港には追い風となった。なかには、神戸港の港湾機能が復活したのちも大阪港での荷扱いを継続する海運会社もあったほどだ。「改めて、港湾の災害バックアップ機能を明確化する必要があると認識した出来事だった。それが、のちに『阪神港』として両港が協力していく出発点になったとも言えるのではないか」(五十嵐氏)

被災した神戸港の貿易機能を大阪港で受け入れ、それが「阪神港」の発想を生んでいく

阪神・淡路大震災を契機として、神戸港から大阪港へのシフトが進んだ。神戸港の被災による影響もさることながら、大阪港が国際通商機能を発揮できることを広く知らしめる機会となったのは、何とも皮肉な話だ。

ともすれば、神戸をライバル視する立場だった大阪港。2000年代に入ると、関西経済の全国に占める地位は相対的に低下が顕著となり、港湾の輸出入機能についても京浜港に水を開けられる状況となっていた。五十嵐氏は語る。「もはや、神戸と大阪で張り合う時代ではない。むしろ、手を携えて関西復権に取り組むべきではないか。こうした機運が高まってきた」

(イメージ)

神戸港と大阪港が機能を補完しあう関係。少し前までは考えられなかった概念だった。こうした関係を決定づけたのが、政府の打ち出した「スーパー中枢港湾」だった。なんと、神戸港と大阪港が同時に「阪神港」として指定対象となったのだ。2004年のことだった。

スーパー中枢港湾は、次世代高規格コンテナターミナルの形成による国際競争力の強化を図るため政令で指定されている港湾を指す。国際コンテナ戦略港湾としての「お墨付き」を与えられたと考えればよい。興味深いのは、ここで「阪神港」として神戸港と大阪港が一緒に指定されたことだ。これは、両港が国際コンテナターミナル機能として分担または連携していくことを前提とした施策と言える。関西における国際港湾運営の歴史のなかで、大きな方針転換を迫る出来事であった。

大阪港が国際戦略港湾に、神戸港とともに「阪神港」の機能強化へ

スーパー中枢港湾の指定を受けて以降、神戸港と大阪港は「阪神港」の枠組みで、政府による国際コンテナターミナルの機能強化策が進められていくことになる。

▲下野憲久・元大阪税関南港出張所長

大阪市も、こうした政府による阪神港の機能強化に歩調を合わせるように、輸出入貨物の拡大策を推進していく。関西に拠点を置く電気機器を中心とする各種産業の生産拠点を相次いで誘致。「特に次世代の成長領域として注目を集め始めていた自動車電池産業は、要素技術を抱える企業が関西に集積している。こうした企業の生産拠点がもたらす旺盛な貨物需要は、大阪港のポテンシャルを大きく前進させた」(下野憲久・元大阪税関南港出張所長)

大阪港の機能は、もはや政府による国際貿易政策の行方にも影響を与えるまでに高まっていく。政府は2010年、大阪港を国際戦略港湾に指定。港湾法と「特定外貿埠頭の管理運営に関する法律」の一部を改正する法律により、国内の港湾の国際競争力強化を目的に従来の特定重要港湾を廃止して新たに港のランクとして最上位に位置づけた。他に神戸港と東京港、横浜港、川崎港も指定を受けている。

大阪港を取り巻く近年のトピックは、大阪湾岸の人工島における生産拠点や物流施設の誘致だ。大阪南港の空きスペースが少なくなってきた背景もあり、夢洲や舞洲における食品などの物流施設の新設は目を見張るものがある。その威容を競うように並ぶ巨大な物流施設の間を大型トラックが走り抜ける姿は、関西における物流の中心地、まさに「天下の台所」の再来を思わせる。

日本の通商政策のカギを握る大阪港の復権

2011年3月の東日本大震災以降、物流業界では、こうした大阪湾岸の大阪港に近いエリアの物流施設の位置付けに変化が生じているという。関西における物流施設ニーズに要因として、関西圏や西日本エリアへの輸配送拠点だけでなく、首都圏をはじめとする東日本の物流機能の「代替拠点」として着目する動きが目立っているのだ。

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「天下の台所」を担うパワーを持つ大阪港ならば、首都圏のバックアップ機能にも対応できる。こうした機能をより高めるために、行政も運営体制の改革に踏み切った。2020年10月、大阪府と大阪市の港湾局が統合し「大阪港湾局」として再スタートを切ったのだ。

「大阪港はもはや大阪市だけのものではない。『大阪』の資産として機能強化を推進していこう、との意思を共有できたという意味で、非常に意義深い取り組みだ」(五十嵐氏)

大阪をはじめとする関西圏、さらには全国の通商政策の思惑を色濃く反映した大阪港。夢洲を舞台とした「2025年日本国際博覧会」(大阪・関西万博)の開幕を3年後に控えて、大阪港に求められる機能はさらに高まっていくことは間違いない。「天下の台所」復権は、日本の貿易政策を占ううえで最も重要なカードを握っているのだ。

■物流施設特集 -大阪湾岸編-