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DXで運送業の交渉力アップを/ascend日下社長

2022年9月20日 (火)

話題LOGISTICS TODAYのスタートアップ・ベンチャー企業を応援する企画「物流スタートアップ・ベンチャー特集」。第7回は、ascend(アセンド、東京都新宿区)の日下瑞貴社長兼CEO(最高経営責任者)です。

物流関連のシステム開発・販売を手掛けるascendはこの夏、トラック運送業向けに運行業務支援の一気通貫システム「LogiX」(ロジックス)の提供を始めました。運送会社のデータ武装を助け、効率化だけでなく荷主との価格交渉力を高めるDX(デジタルトランスフォーメーション)ツールです。大学院で哲学を専攻したという日下社長に、起業の目的や物流業への課題認識を聞きました。

IT投資不足が情報格差を生んでいる

──運送業界が直面する諸課題をどう考えていますか。

EC(電子商取引)の急拡大で物流クライシスが叫ばれていますが、運送業界の根本的課題は「荷主との関係の改善」だと考えています。運送業の内部でいくら業務を効率化しても効果は限定的です。荷主に対する運賃交渉力を高め、力関係や不合理な商慣習を変えることが第一で、それこそが人材確保と成長サイクルにつながると思います。「燃料費が上がっている」「ドライバーが足りない」と言うだけでは、荷主を説得していくことは難しい。数字に基づいた共通言語(データ)を持って交渉しなければ、実態を反映した運賃は実現できません。

──運送業はなぜ、荷主に対して弱い立ち場に置かれているのでしょう。

構造的な要因が3つあります。対荷主交渉力の弱さ、プライシングスキルの不足、情報の品質の低さ――です。そもそも運送業はコモディティーサービス(他社と差別化しにくいサービス)であるため、料金が重視されがちです。運送業者はどうしてもプライステイカー(自由に価格を設定できない立場)になり、荷主の提示価格に従ってしまう面があります。6万社超という数の多さとも相まって、交渉力が弱く、最適価格を設定する力がつかないのです。中小零細企業が多く、IT投資が十分にできないことが大きいです。荷主の方は大企業が多くIT投資がしっかりできているのに比べて、運送業は持っている情報の量と品質が劣り、価格交渉力や生産性に響いています。

──そうした課題に着眼して開発したシステムがロジックスなのですね。

ロジックスは、運送事業者が持つ情報の量や品質をどう改善し、その情報をもとに荷主との交渉力をどう高めていくか、という課題意識から開発しました。「どの荷主と交渉しなければいけないのか」「運送料金はいくら程度が妥当か」「どのような形で提案すべきなのか」といった問題の解を運送会社自身で出せるようにしたいと。デジタル技術は業務効率化の要素も当然ありますが、データに基づいた経営判断や交渉をするためのツールです。運送業はDXによって、荷主と対等に交渉できるのです。

デジタル不得意でも手厚くサポート

──ロジックスの特徴は。

運行管理業務を対象にしたクラウドシステムで、案件の受注・配車・請求を一元管理します。日々の業務のデータを自動で蓄積し、運送コース別、車両別、日時別の収益や平均単価を出し、経営分析レポートなどの形で示します。損益分岐点からどの程度のギャップがあるかを分析、どの荷主に対して運賃交渉の余地があるのかを判断できるようにします。それをもとに現場の効率化や脱属人化といった業務改善を行います。これまでに6都県の十数社に本導入していただきました。経営分析レポートに基づいて荷主を切り替えた企業もあります。数字を持ったことで初めて判断ができるようになったわけです。

──運送会社の中にはITが不得意な人も少なくないでしょう。

重要な点です。当社は顧客企業に3か月かけて丁寧に導入サポートをしています。デジタルに不慣れな顧客にも使いこなしていただく工夫は、IT企業側が努力すべき部分です。

運送業にはSaaSが適している

──運送業の将来をどう見ていますか。

デジタル技術を実装すれば課題解決が十分できる業界です。適正運賃の実現に向けて、行政や荷主に一方的に依存せず、業界自体でできることがもっとあるはずです。当社はその支援をしたいのです。運送業は利幅が薄く、企業規模も小さく、IT投資があまりできなかったと思いますが、そのような業態にこそ、ロジックスのようなSaaS(サーズ、※)が向いています。1社あたりの費用負担が非常に安いからです。このようなシステムを企業単独で構築すると数千万円から数億円の開発費が必要ですが、多くの企業が利用するSaaSなら「割り勘効果」が生じます。ロジックスの基本料金は月額10万円から。運送各社がSaaSの利用に踏み出すことが、会社にも業界にも重要な転機になるはずです。

※SaaS=「ソフトウエア・アズ・ア・サービス」の略。クラウド上にあるソフトをインターネット経由で利用するサービス。

「デモクラシー」が出発点、前進する哲人起業家

「運送業の根本課題は荷主との関係改善」と断言する日下社長。スタートアップの若手経営者の多くが、デジタル活用の第一目的を「効率化」や「省人化」に置くのに対し、氏は「対等な関係づくり」のためのツールと位置付ける。厳然と残る「不平等」「不公正」こそ問題の核心であるという日下氏の洞察の背後には何があるのだろう。

荷主が優越的な地位に立ち続け、運送事業者に安値受注を強いたり、コスト上昇分の価格転嫁を拒んだりする不平等で不公正な慣行が、残念ながらこの国では今も続いている。公正取引委員会が毎年調査し、悪質な荷主に警告しているが、一向に減らない。

DXは大きな可能性を開く期待の技術だが、それを駆使して効率化や自動化をいくら進めても、荷主との関係が変わらなければ根本的な問題解決にはならない。日下氏はそう考える。

日下氏は社会に出る前、大学院修士課程で哲学や政治思想を研究した。テーマに選んだのは、19世紀フランスの思想家アレクシ・ド・トクヴィル。その著書「アメリカのデモクラシー」は民主主義を肯定的な意味に変えた政治学の名著とされる。その中でトクヴィルは、デモクラシーを政治体制としての民主主義の意味だけでなく、「平等化」の意味でも使っている(宇野重樹著「民主主義とは何か」=講談社現代新書=より)。

(イメージ)

修士課程を終えた日下氏は、考えた末に学究の道ではなく現実の経済に針路を向けた。PwCコンサルティングでサプライチェーンマネジメントを専門に、システム導入やデータ分析の業務に従事。その後、大手シンクタンクの野村総合研究所に移り、行政や業界団体を中心に物流の政策や構想の立案支援にあたった。学生時代から「社会課題の解決」を志向していた青年は、こうした経路で物流と出会った。そこに在る矛盾と向き合った。

安定した大手シンクタンクを退社し、2020年3月、「命をかける場」と決意して仲間とアセンドを設立した。データ分析ツールの開発・販売というビジネスを通じて、運送業の側面支援を始めた。前職で培った知見や経験を足掛かりに、政府から物流政策立案のための作業も受託し、業界改革に多角的に携わる。22年度は内閣府から委託を受け、運送料金を需要動向に応じて変動させる「ダイナミックプライシング」の技術開発に取り組んでいる。アセンドの社員は現在15人。東京・市谷の決して広くないオフィスでは、日下氏と思いを共有する若者たちが机を並べ、システムの運営やデータ分析、顧客への導入サポートに忙しい。

DXによって運送業と荷主の関係はどこまで適正になるのだろうか。アセンドの挑戦は、テクノロジーが日本社会を「効率」だけでなく「公正」なものに導けるかどうかという問いに、一つの答えを出すだろう。(編集部・東直人)

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