ロジスティクスこのままでは、日本の文化財が虫に食い荒らされかねない。特に古文書、重要文化財の書籍や博物館の資料が眠る、静かな書庫ほどレッドゾーンだ。その犯人は体長1センチほど、乳白色の外来昆虫の「ニュウハクシミ」。生息確認は5都道県から19へ。小さな侵入者が、紙の文化を侵食しようとしている。
さらに目を凝らせば、拡散の足取りが見えてくる。そこに介在するのは物流だ。美術品の輸送、梱包資材、倉庫の片隅などなど。文化財とは無縁に見える現場が、知らぬ間に外来虫の「運び屋」を引き受けた疑いがあるのだ。
段ボール1箱。梱包用の綿ひと握り。これらが文化財を脅かす温床になりかねないと専門家が警鐘を鳴らしている。では、物流に携わる者は何を知り、警戒し、対策すればいいのか。ニュウハクシミの研究・対策の最前線に立つ東京文化財研究所の保存科学研究センター生物科学研究室長の佐藤嘉則氏と、同研究所保存科学研究センター生物科学研究室アソシエイトフェローの島田潤氏に話を聞いた。
タンパク質系から紙まで食い荒らす
ニュウハクシミ(Ctenolepisma calvum)は、日本には本来いなかった外来の「紙魚」(シミ)だ。乳白色で体長1センチほど。厄介なのは単為生殖(メスだけで繁殖できる生殖方法)すること。メス1匹から殖え、3年で最大3万匹に届くという。荷に紛れたたった1匹が、静かな書庫で繁殖の源になってしまう。

▲ニュウハクシミの成虫(出所:東京文化財研究所)
「在来種のシミは最低でもオスとメスがそろわなければ定着は難しい。しかしニュウハクシミは卵1個だけでも増える。今まで以上に注意が必要だ」と佐藤氏は語る。食性は雑食で、タンパク質系のものから紙まで、手当たり次第に口にする。
「紙だけを食べる虫ではない」と島田氏は語る。「食べものの幅が広い。文化財でいちばん被害が出やすいのは、やはり紙だ」と続けた。
収蔵庫が虫の楽園に
幸いにも、博物館・美術館での被害報告は、現時点では確認されていない。ただ、古文書や古い書籍は静かに傷む。ページのわずかな浮きや反りが、虫にとっての「抜け道」になるだけに、油断は禁物だ。また、古文書は隙間ができやすく、そこに密かに入り込み、食べ進むこともあると言う。
問題はここからである。温湿度を整えた収蔵庫は文化財の安住の地だが、ニュウハクシミにとっても住み心地のよい我が家なのだ。「収蔵庫の通常環境なら生き残れる」と佐藤氏は言い、「屋外では弱くても、博物館・美術館では強い。害虫化しやすい」と続ける。島田氏も「乾きすぎても寒すぎても死ぬ。文化財の保存環境が、虫たちにも都合がいい」と語る。
段ボールと綿が”運び屋”に
物流の目で見るべきは、ニュウハクシミの“足あと”だ。専門家は、侵入の本筋を「美術品輸送にある」とみている。ニュウハクシミは屋外ではなかなか生きられない。ゆえに、海外でも彼らの居場所は博物館の静かな一角になりやすい。

▲東京文化財研究所で飼育しているニュウハクシミ
「それを万全の状態で運ぶのが美術品輸送。温湿度が安定した輸送の中に紛れていた可能性が高い」と佐藤氏は言う。ふつうの荷物なら温湿度が乱高下して命はもたない。だが、温湿度管理された専用コンテナは文化財だけでなく、侵入者にも居心地のいい「移動書庫」になる。
物流の現場で、両氏が「ここが落とし穴」と名指しするのは梱包用の綿と段ボールだ。島田氏は「綿に潜む可能性がいちばん高い。作品と一緒に運ばれ、綿に産み付けられた卵が行き先でふ化した後、定着しかねない」と語る。
ホコリがある荷台も盲点
段ボールについても、佐藤氏は「波状の内部構造が隙間を無数に生む。格好の隠れ家で、数匹ずつ入り込むこともある」と指摘する。輸送の現場では作品の移動、管理に細心の注意を払う。一方、「梱包資材への目配りや殺虫処理は手薄ではないだろうか」と佐藤、島田両氏は懸念を抱く。
「梱包資材のチェックが不十分で、殺虫も徹底できていないケースがある」として、「それが拡散の“発着場”になっている可能性がある」と両氏は口をそろえる。さらに厄介なのが、荷物の「仮置き」だ。来週、別の博物館へ回す荷を、その間ずっと床に直置きしていれば、侵入の口を自ら開けることになる。見落とされがちなのは荷台のほうで、佐藤氏は「ホコリがあると餌になる」と指摘し、「段ボールを好むゴキブリと同じで、荷台も盲点になりうる」と語る。
床置き厳禁、ツルツル素材で防御
では、物流の現場は何をすべきか。両氏の答えは明快だ。第一は「床に直置きしない」。ニュウハクシミはツルツルした面を登れないため、「ペットボトルの上にスタイロフォームを渡して、すのこ状にするだけでも侵入リスクは下げられる」と島田氏は語る。

▲東京文化財研究所の保存科学研究センター生物科学研究室長の佐藤嘉則氏(左)、同研究所保存科学研究センター生物科学研究室アソシエイトフェローの島田潤氏(右)
「北海道博物館でも、そんな小さな工夫で侵入防止に取り組んでいる」と付け加えた。梱包資材は「清潔を保つ」だけでなく、「虫を入れない・増やさない」前提で扱い直す必要がある。
島田氏は「殺虫処理も含め、梱包資材を清潔に保つという意識改革が必要だ」と語る。「熱処理など、資材そのものにできる処理はやってほしい。博物館資料のように繊細なものは難しいが、梱包資材なら手が打てる」とも続けた。
さらに佐藤氏も「ニュウハクシミが出ていると診断された場所から来る資料は、必要な処理をきちんと遂行することが重要だ」と語る。梱包資材の素材を見直す手もある。「プラスチックのような素材はニュウハクシミが口にできない」と島田氏は語る。
「つるりとして登りにくい。光を通す素材なら中の様子も見えやすく、虫も落ち着かない。居づらい環境になる」と続けた。一方で佐藤氏は、「文化財の現場には、長年積み重ねてきた梱包の作法がある。簡単には替えられない部分もある」と現実を踏まえつつ、「ただ、資材そのものを変える大きな一手は、長い目で見れば効いてくる」と語る。
情報共有が拡大を止める鍵
両氏が声をそろえて繰り返すのは、「まず知ること」だ。「こうした外来種が、いま日本で静かに勢力図を広げている。その事実を周知するのが最優先だ」と佐藤氏は語る。
さらに「専門家による種の特定をして、資料を貸し借りする相手と情報を共有する。それだけで、拡大に歯止めをかけられる」と続けた。怪しい虫を見つけた場合は、東京文化財研究所に検体を送れば無償で確定診断を受けることができる。
物流事業者への期待も大きい。「物流の分野でも、まずニュウハクシミという存在そのものを認識してもらうことが大事だ」と佐藤氏、島田氏の両氏は呼びかける。「人間を直接襲うわけでも病気を媒介するわけでもない。だから危機意識が薄くなりがちだ。しかし文化財を保護するという意味ではもう少し危機感を持ってほしい」と続ける。
文化財の保存環境が皮肉にも害虫の温床となりうるこの問題で、物流業界が果たすべき役割は決して小さくない。梱包資材の管理から情報共有まで、サプライチェーン全体での意識改革が、かけがえない文化遺産を守る鍵となる。(星裕一朗)
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