話題「信長の野望を始めたのは、3歳のときでした」
そう言って声高に笑う男がいま、マテハン業界で最も注目される会社の代表取締役を務めている。3歳といえば、ひらがなを覚えたかどうかで一喜一憂する頃だ。ところがAPT(アプト、千葉市美浜区)社長の井上良太氏は兵糧をはじき、領地の均衡を読み、弱小国から天下統一の段取りを組んでいたという。「国って、兵を出すにも米が要る。米には田畑が要る。金には町が要る。3歳で、そこまで考えていました」と語る。照れ笑いの奥に、小さな自負がきらりと光った。
3歳の天下取りが、業界の常識を揺らす
好きな武将を問うと「やっぱり信長。ひと息で駆け上がり、世の段取りを替えた人です」と即答した。弱い立場から這い上がる者への、抑えきれない共感。そこに、この人の原点があるのかもしれない。バランスを読み、弱点を改良し、気づけば盤面をひっくり返す。そんな性分は、大人になっても変わらなかった。

▲「信長の野望を始めたのは、3歳のとき」と語るAPT社長の井上良太氏
井上氏率いるAPTは、マテハンの現場で妙に目立つ存在だ。自動倉庫や搬送の保守・改修で腕を磨き、メーカー縛りのないサードパーティーとして守備範囲を広げてきた。大手が既製品を差し出す局面でも、まず困りごとを聞き切り、世界中の選択肢から解を拾い、現場の癖に合わせて仕立てる。言うなれば、設備の町医者。「受注は今期、過去最高を半年で更新した」と語る。
なぜ、この会社はここまで伸びたのか。
数字を並べれば追い風はいくつも見つかる。自動化のうねり。海外製への揺り戻し。サードパーティー待望論。だが、それだけでは説明のつかない伸びがある。芯は井上氏の胆力だ。壁に当たっても、泥をかぶっても、社内で浮いても、退かなかった。見続けた社員の背にも、いつしか「逃げない」が染みついた、と関係者は語る。会社とは、結局、人である。その当たり前の真実を、APTは体現している。
外部から来た新社長を腫れ物扱い
2000年代後半、井上氏は金融・コンサルの世界を離れ、マテハンの小さな下請けへ身を投じた。自動倉庫や搬送の保守と改修で食う、現場のエンジニア集団だ。20代の社長が現れた日、社内に走った緊張を、同社執行役員でソリューション営業本部長の栗原勇人氏は「腫れ物に触るようでした。金融コンサル出身の若い社長が来たら、正直、身構える。何をされるのかと」と語る。
井上氏も、その冷えた視線を肌で知っている。「異物、のひと言でしたね」と井上氏は語る。歓迎でも拒絶でもない。ただ、整い過ぎた距離があった。こちらが「禁止しろ」と漏らせば、古参が「若造の言うことが聞けるか」と吐き捨てる。言葉にされずとも、空気がそう告げていた。「若いのが舵を取って、大丈夫か。そう見られていました」と井上氏は苦笑する。知性を看板にせず、あえて「パッパラパーの体育会系」を演じて場をゆるめる。その加減が、井上氏の武器だった。
喫煙所と棚卸し、駆けずり回った社内営業
活路は意外にも、紫煙が充満する喫煙所にあった。
当時、そこは小さな社交場だった。井上氏は煙の向こうへ足繁く通い、誰となく声をかける。棚卸しを買って出て、汚れ役も袖を捲って引き受ける。揉め事が起きれば、社長自ら現場に顔を出した。「どう見られているかは分かっていました。だから先に動かないと、話も聞いてもらえないと思ったんです」と井上氏は語る。「そういうの、嫌いじゃないんですよね」と照れ気味に付け足した。
栗原氏は、その”距離の詰め方”を傍らで見てきた。「荒っぽい空気の現場でも『一緒にやりましょうよ』と、いつの間にか輪の中にいる。相手の懐へ入る呼吸を、常に測っているんだと感じました」と語る。さらに「井上さんは知的でも、ひけらかさない。くだらない話を、きちんと笑いに変える。その塩梅が見事です」と続けて語る。

▲「くだらない話を、きちんと笑いに変える。その塩梅が見事です」と井上氏を評する、同社執行役員でソリューション営業本部長の栗原勇人氏
頭の良さを武器にしない賢明さが、現場の心の鍵を少しずつほどいていった。デジタルの時代に、手触りのある外交。やがてそれが、この会社の文化の原型になっていく。
「嫌いじゃなくなった」という、正直な距離感
就任から5年、6年。全社員集会を開き、社内報を出し、現場の一人ひとりと言葉を交わす回数を増やした。するとある日、社員が小さくつぶやいた。
「社長のことが、嫌いじゃなくなった」と。
井上氏は「目指す方向がようやく伝わったというか、この会社を本気で良くしようとしているのが届いた瞬間があったんでしょうね」と語る。好きになった、ではない。嫌いじゃなくなった。そこにあるのは、甘さよりも実務家の正直さだ。距離は残したまま、信頼だけが、じわりと灯る。
栗原氏も、井上氏の別の顔を明かす。「業績が悪い時期でも、好きな人と飲んで英気を養う。普通は逆に肩に力が入るのに、そこが井上さんらしい。すごいと思います」と語る。追い詰められたときほど、人は素が出る。焦りを胸にしまい、表情だけは涼しく保つ。その余裕が、周囲の不安をそっと鎮めた。
出る杭を、あえて打ちにいく自由
社内で信頼を積んでも、社外には別の関所が待っている。マテハンは大手を頂点に下請けの糸が幾重にも張られ、横の連絡がやけに速い。新参の席は最初から狭い。APTはその前で遠慮せず、杭を自分で打ちにいく。系列に寄らず、ベンダーの鎖も外し、現場の「困った」に一直線。煙たがられ、圧も来た。それでも井上氏が退かなかったのは「失うものがなかった」からだ。「会社、そもそも小さかったんですよ。嫌われても、まあ別にって」と言い、「逆境が好きなんでしょうね。吹けば飛ぶ場所を探すのが好き」と自嘲した。

▲思い出話に華を咲かせる井上氏と栗原氏
就任10年。井上氏はようやく「自分の会社になった」と腹の底で思えたという。「私より先輩は、まだまだいるんです」と笑い、「でも17年この空気でやってきたから、すっかり”こちら側”ですよ」と語る。その「染まった」は、卑屈ではない。むしろ、現場に席をもらった者の誇りだ。会社は社長の私物ではなく、働く人の暮らしと手触りの総和である。その感覚を10年かけて身に刻んだ経営者が、いまのAPTを率いている。
弱い国から始める、盤面ひっくり返しの快感
振り返れば、歩幅は変わっても、線は一本だった。少年野球では弱いチームを鍛え、最後は頂点まで押し上げた。ベンチャーキャピタルでは、5人の小さな会社が市場を生む瞬間に立ち会った。いまはメーカーでも大手でもない場所から、マテハンの常識に小さな切れ目を入れにいく。「弱そうに見えるものほど、芯が強い。それを見つけて世に出すのが好きなんです」と井上氏はことあるごとに口にする。
狙うのはガリバーではない。ピリッと効く一滴だ。業界の作法より現場の手元へ寄り添う。その姿勢がAPTの背骨になった。「5年前に言ったことが、いま形になっている。口にした以上、やり切れたのは強みかもしれません」と井上氏は静かに語る。
3歳の少年が『信長の野望』で覚えたのは、戦略だけではない。弱い国から始め、盤面をひっくり返す快感。あの感触が、今も井上良太の背中を押している。



















