
▲enstemの山本寛大社長
話題enstem(エンステム・東京都中央区)が開発した「Nobi for Driver」(ノビ・フォー・ドライバー)は、専用のスマートウオッチとアプリを使って収集・分析したデータを基に、ドライバーの運転状況や健康状態を管理できるサービスだ。国土交通省の「過労運転防止認定機器」に認定された同社のソリューションは現在、トラック運送会社をはじめ、バス会社、産廃の収集・運搬会社など200を超える企業に採用されている。同社の山本寛大社長に、開発の経緯やサービスの特徴などを聞いた。
体調の良さの「再現性」を高めたい
自動車の安全性能や事故防止機能がいくら進歩しても、人為的ミスを完全になくすのは容易ではない。普段は運転が安定しているドライバーでも、体調が悪いときには自ずと事故リスクは高まるものだ。つまり、ドライバーの体調管理の徹底こそが、継続的な安全運転には欠かせない要素の1つであると言えるかもしれない。ドライバー個々の詳細な運転データを収集・分析し、安全対策に活用していく。そんなソリューションがリリースされた。

▲専用スマートウオッチ
enstemのNobi for Driverは、もともと同社が開発した健康管理サービス「Nobi」(ノビ)を運行管理向けに改良したものだ。専用スマートウオッチで歩数や心拍数、血圧、睡眠などのデータを収集し、アプリで着用者の健康状態などをチェックする。ここまでの機能は最近よく見かけるツールとさほど変わらない。
これに対して、Nobiはこれらデータから体調変化の周期を分析し、次に体調が良くなるタイミングまでを予測する。さらに、体調改善のポイントをアドバイスしてくれるため、ユーザーは常に良いコンディションを保てるようになる。いわば、Nobiは「健康な生活の再現性を高めるツール」なのだという。山本社長は「伸び伸びとみんなが健やかに生きられるようにとの思いを込めて『Nobi』というサービス名に決めた」と説明する。
Nobi for Driverは、こうしたバイタルデータによる健康管理を、安全運転に役立てていく目的で開発された。現在、トラック運送業やバス運行会社、産業廃棄物の収集・運搬業者など200を超える企業に採用されている。
「ドライバーの体調を客観的に把握するのは難しい。しかし、Nobi for Driverは十数秒で各種のデータを収集し、その日のコンディションを評価する。運転中の疲労度合いや居眠りの兆候なども把握し、もし異常があれば、ドライバーと運行管理者にアラート(警告)を出す仕組みになっている」(山本氏)
ドライバー自身が疲れや眠気の兆候を自覚できていないことも多いという。実際、あるユーザー企業では、Nobi for Driverを装着し、バイタルデータから異常が検知された社員を病院に行かせたところ、病気が見つかったケースもあった。
Nobi for Driverは、バイタルデータと同時に位置情報も送信する。そのためドライバーが危険を感じて心拍数が上がったタイミングや場所なども一目瞭然だ。そのデータをもとにすれば、容易に危険な場所をマッピングできる。新入社員など運転経験の浅いドライバーに注意喚起したり、輸配送ルートの改善に役立てたりすることが可能になる。
運転をスタートし、疲労が出始めて心拍数が下がるまでの時間を計測すれば、ドライバーの疲れやすさなども把握できる。同氏は「ドライバー個人の体力に合わせた配送ルートの設定や担当案件の割り振りも可能」と話す。
費用はミニマム月額1300円からとリーズナブルな上、まとめ買いの必要もなく、デバイス1つからの導入が可能なことも特徴だ。実際、高齢者や新人、事故歴のあるドライバーだけを対象に導入し、安全教育を兼ねるという使い方もされている。
せっかくデータを集めても活用方法を理解していなければ、無用の長物と化してしまう。enstemでは、ユーザーごとに担当者1人を必ず配置し、データをどのように活用すればいいのか、アドバイスしている。デジタルデータの扱いに慣れていない企業にとって心強いサポート体制だ。
また、ドライブレコーダーとの連携や損害保険会社との提携も視野に入れており、今後のビジネスとしての広がりも期待できる。人材不足が深刻化するトラック運送業では、ドライバー一人一人の安全を見守り、交通事故撲滅に向けた社会的責任を果たさなければ、事業を継続することさえ難しくなるだろう。行政処分厳罰化への対応を迫られるなど、トラック運送業界でこれまで以上に安全管理の重要性が高まることは、ツール普及の追い風になるはずだ。
誰もが自分の健康を把握できるインフラに
山本氏の祖父は、家業の和菓子屋を継いだ後、いったん廃業して広告会社を立ち上げている。街のイベントを仕切るなど、ちょっとした地域の顔役だったという。祖母も銀座で小料理屋を経営しており、子供の頃から商売の現場を目にしていたことから、いつしか起業に憧れるようになっていたという。
もっとも、すぐに起業したわけではなかった。大学卒業後、一度は社会を知っておこうとGoogle(グーグル)に入社した。Googleは“人々の障壁をなくすこと”を社是にしている。「『知らない』こと自体は罪ではなく、その人が知ることができない立場に置かれていることに問題がある。だからこそ、知る土壌を作ることが大切だ」という考えだ。
その思想に影響を受けた同氏は、Nobiのことを「自分の健康を知るためのインフラ」だと考えている。インフラを整えることで、初めて人は自分の健康状態に容易にアクセスできるようになるのだ。

(イメージ)
同氏は常々、調子が良いときと、悪いときがあることを不思議に感じていたという。風邪気味だとか、二日酔いだとか、調子が悪い理由は説明できるが、調子が良い理由は自分でも説明できない。「バイタルデータを解析すれば、調子が良い日の条件を見つけられるかもしれない」(山本氏)というわけだ。
こうしてNobiの開発に取り組んだものの、個人向けだとApple Watch(アップルウォッチ)と競合してしまう。そこで、企業向けサービスの検討を始めた。企業向けにするなら、生産量や事故件数など数字で成果を評価できるブルーワーカーを対象にしたほうがいいと判断した。あらゆる業界のなかでもトラック運送業の反応はよく、「業界に特化したサービスなら流行するかもしれない」という助言もあり、2020年に事業化に踏み切った。
健康であれば対価が得られる社会に
もともと起業に憧れていたからなのか、リリースに漕ぎつけるまであまり苦労を感じなかったという。仕事を通じて人と知り合い、それがプライベートな付き合いとなり、新たな人を紹介してもらえる。24時間仕事のことばかりを考えているわけではないが、生活のすべてが事業につながるというのが同氏のモットーだ。
人のつながりから思わぬビジネスにたどり着くこともあり、「それが純粋におもしろく、刺激的」と笑う。「それに真っ当に生きていれば、信頼や信用が貯金のように貯まっていき、困ったときに助けてくれる人が必ず現れる。どんな生き方をしているのかもビジネスと無縁ではない」(山本氏)。
スタートアップの事業段階として、今は人を増やしていくフェーズにある。近く大規模な資金調達を実行し、さらに事業を拡大していく予定だ。もちろん、海外での事業展開も視野に入っており、トラック運送業界だけでなく介護ワーカーなど業種を広げてサービスを展開したい考えだ。
世間には、歩行や睡眠のデータを送るとポイントが付与されるサービスがある。山本氏はNobi for Driverの機能を利用すれば、そうした“健康を対価に何かが得られる”社会を実現できるのではないかと考えている。ブルーワーカーは薄利で、数をこなして収益を稼ぐ仕事が多い。しかし、移動データや生体データを活用し、それで利益を得る仕組みをつくることができれば、体が資本の肉体労働者全体の収益アップも可能かもしれない。
同氏は「これまでにない発想で対価を得られる方法があるはず。健康状態を可視化して、そこからお金が生まれる仕組みをつくることができれば、世の中が変わると思う。自分の健康状態を知るためのインフラ整備が現場労働者の待遇改善につながればうれしい」と期待している。
一問一答
Q. スタートアップとして、貴社はどのステージにあるとお考えですか?A. 年末に向けてシリーズB(企業規模の拡張段階)にあたる調達を行う予定です。営業、CS(カスタマーサポート)、開発、バックオフィスなど、すべての分野で人員を増やしていきます。
Q. 貴社の“出口戦略”、“将来像”についてお聞かせください。
A. 将来像については、資金調達をさせていただいているのでM&Aか上場の二択になります。生体データを活用し社会課題を解決していく上での最善策をとりたいと考えています。