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できる人材とは「できない」が言える人/論説

2021年11月18日 (木)

話題いきなりで恐縮だが、英語圏の物流現場では「Would you like a hand?」「Could you give me a hand?」のフレーズは、日常とてもよく耳にする言葉だ。時と場所によって和訳のニュアンスは異なるが、たとえば「Would you like a hand?」は、「何か手伝うことがありますか?」「こちらは終わったけど、そちらで何をすればいい?」といったフレーズが相当するだろうし、「Could you give me a hand?」は「応援頼む」や「手を貸してくれないか」などの内容を指すと解してよいだろう。(永田利紀)

物流現場と国民性

私見だが、日本人は「Could you give me a hand?」を口にするのが苦手だと思う。

深層心理には「他人様に迷惑をかけてはならない」「安直に助力を求めることは怠慢で不謹慎」などの道徳観があるのではないだろうか。

一方の「Would you like a hand?」については、恐らく世界屈指の目配りと滅私奉公の国民性だろうし、躾や教育によって培われた自尊心の表れともいえる。無論だが、外国からの評価も圧倒的に高い。

しかし、それが物流現場の合理化や改善の足枷になっているかもしれぬとしたら…。

貴方はどう考察し、どのような策を講じるのだろう。

こんなことを問う私自身が過去から今に至るまでの長きにわたり、毎度同様の自問と煮え切らない自答を繰り返してきた。

悪意なき互助と、責任感の堅持という善意が招く孤立無縁。ラグビーなら「ノットリリースザボール」はペナルティだ。プレー続行できない状態でボールを保持してはならないというルールによるものだが、物流現場にも相通じるのではないだろうか。

互助が行き過ぎると、業務量想定と消化計画の測定・評価に濁りや不純が混じる。そして毎度のように「結果オーライ」となって、やり過ごされてしまう。

具体的な現象としては、総業務量を作業区分ごとに切り分け、さらに作業者個々の想定生産性に基づいて割り振った結果の検証があやふやになってしまいかねない、などが挙げられる。

現場“あるある”

庫内業務や運行管理者ならば誰もが一度は口にした言葉として、「どうして今まで我慢して黙っていたのか。もっと早く言ってくれればよかったのに」というのがある。

言葉の前後には数多のパターンがあることは言うまでもないだろう。このような分析や検証は往々にして組織の上席者などによって「現場トラブル」と説明されることが多い。

しかしながら第三者の立場で事の顛末を見聞きしてきた身としては、使う側も使われる側も、その原因についての責任は五十歩百歩と感じるばかりだ。

どの現場においても、我慢していた作業者と「もし知っていたなら」すぐに対策を講じたであろう管理者の間には、かなりの温度差や認識の違いがある。

(イメージ)

ついでに書けば、どちらに非があるのかを突き詰めること自体は不毛でしかない。誰かに白黒やマルバツをつけても事態の根本解決には至らぬまま、幼稚な感情論や力関係によるいびつ極まりない収束に落ち着くだけだ。関与者全員の不本意にとどまらず、組織全体に「なんだかなぁ」というやるせない空気が漂いかねない。報告責任と管理責任は常に同衾しつつも相反する関係性のため、どちらか一方の責を問うのは不合理となる。

そのような実例は挙げ出せばキリがないし、思い出しても気が滅入るだけだ。

「清濁併せて呑む」器量が管理者に求められる、というのが教科書的結論だろうが、物流現場の管理職どころか経営層にもそんな大人物は滅多にいるものではない。青天を衝くような人材は歴史に名を刻むほど稀有であり、一般の事業会社では、凡人たちが自分本位な言動や私利私欲をさらけ出さぬように細心の注意で過ごし、人によっては出世を内心に秘めて面従腹背よろしく組織人を演じている――。というのが人から聞いたハナシだ。

そんな語り部たる企業人の言葉の端々に顔をのぞかせるのは「他者への依存や依頼は好ましくない」という大前提に基づく価値観や業務規範的な道徳に近い感覚だ。

「人に頼る=自助努力の放棄=能力評価が低い」という三段論法は日本国内での長い流行として、今も存えているような気がしてならない。

早めの警報と避難が最善

物流現場での事故やミスを聞くたびに思うのは、災害時の行動と、現場での危険察知後の言動には共通点が多いということだ。

万が一のために警報を鳴らし、皆に周知して危険を回避しようとする、は災害発生時の基本行動だ。それは物流現場でもまったく同じだ。

「普段と違うので、一応管理者に報告する」
「このままでは数量未達になりそうなので、現場リーダーに応援を申し出た」
「なんとなく違和感があったので、手順変更による改善案を管理者に伝えた」

などは、防災訓練の際に標語化されている内容とほぼ同種だ。

そして被災後の検証事例も物流現場に照らしても支障ない。

「早めに避難していれば、被害は激減していたに違いない」
「これぐらいなら大丈夫という過信が、被害を大きくした」
「異変や違和感を感じた段階で、すぐに役所や消防に連絡してくれれば、、、」

誰しも見聞きしてきた言葉だろう。

できること・できないことの明言が必要

初動が遅れたり誤ったりした被災者個人の過失だけでなく、事前の約束事の周知や訓練による徹底が充分であったかが、防災機能が有効に働く要件の肝となるはずだ。

そしてルールや仕組の整備を終えて、仕上げに欠いてはならないのは「勘違いや思い過ごしでもよいし、勇み足でもかまわないので、危険や異常を僅かでも感じたら、即座に声をあげる」ということに尽きる。それが生活の場である近隣地域であっても、職場である物流現場や事務所であっても同じだ。

(イメージ)

「ちょっと心もとないので応援してもらいたい」や「不安なので誰か確認願いたい」や「このままでは支障が出そうなので、管理者へ連絡しておこう」は個人の能力や努力の欠如ではない。思い切って言いだすことは善であり、批判や不評の元にはならないし、そうあるべきと強く言いたい。

むしろ良かれと思っての「これぐらいは自分でなんとかしないと」という頑張りすぎが、結果的には周囲への多大な影響や被害拡大の主因となることのほうが多い。

他人ごとならそのように考える人がほとんどなのだが、自分事になると通常の思考回路が働かず、行動も迷走気味になることは、誰しも可能性があるハナシではないだろうか。

早めの応援要請や不安吐露は優秀な作業者の特徴であるし、それを基本行動として評価に値すると周知徹底出来ている管理者は優れた人材である。

無理を重ねて頑張りすぎて、力尽きるようにミスやトラブルに見舞われ、結果的には責任問題にまで発展、などという不幸な顛末を未然に防止するためにも基本的な申し合わせは定期的に施して頂きたいと願う。

業務フローに紐づいた作業手順の反復確認同様に、報告や質問のルールを現場内で常に公開して機能させるためにも、情報が行き来するレポートラインの整備を再確認してみてはいかがだろうか。