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論説/インフラ化する個配の意味とは

2021年4月8日 (木)

話題ネットスーパーの台頭は消費者にとって有用この上ないと思うが、参入企業は相当の覚悟をもって意思決定してもらいたいと願う。地域によっては生活インフラとして、そのサービスがなければ暮らしに支障が出る可能性も大いに内包しており、単なる企業戦略の結果という判断基準だけでは進出・撤退の要因として社会的理解が得られなくなるはずだ。(企画編集委員・永田利紀)

ライフ、宅配強化へ間口グループと新会社(21年4月7日掲載)
https://www.logi-today.com/428956

したがって無理のない収支試算が求められるわけだが、その際には個配一辺倒ではなく、地域の自治体や事業者との連携による「個配もしくは個配変形型配送」のような融通を利かせた計画の検討を積極化してはいかがだろうか。

地域側からの視点

(イメージ図)

販売者や配送者側の視点とは反対方向から考えてみるとどうなるだろうか、と仮想してみることが必要ではないだろうか。時間のある元気な高齢者が増えることで、昭和の時代には随所にあった荷物預かり所や、コインロッカーの類似サービスが、管理人・運営者常駐の形で再増することは必至と感じる。

それは急速に増加しつつあるBOPIS(ECサイトで購入した商品をリアル店舗で受け取る買い物スタイル)の、一種の進化型と表現してもよいだろう。また、個配全体というよりは宅配についての傾向であり、人口密集の都市部と過疎化が進む地方の市区町村では、異なるサービスがそれぞれの実情に合わせて普及していくと思う。

今まで繰り返し記してきた通り、個配のボリュームは増加の一途をたどる。人口が減少しているから、比例して漸減するという従量推移はあてはまらない。

少子高齢化の進行によって、いわゆる限界集落とは異なる発生起因による「限界居住区域」が都市部に現れる。例えば、かつてのニュータウンや大規模公営団地、再開発から外れた民家密集地などが該当する。

言い換えれば、老いた個人では生活の基盤をまかないきれないエリアのことを指している。水道・光熱と同じように、さまざまな生活物資の「現代版兵たん」の確保が、万人に共通する一定水準のQOL(生活の質)を支える柱として不可欠になる。それは「個配業や巡回サービスを通常業務とする企業群が、自治体や住民と連携して提供する宅配機能」と表現したほうが分かりやすいかもしれない。

セーフティネットとしての機能

仮に、大規模団地の各棟1階か合同の集会所に「荷物受取場」があるとする。自身の分を取りに来る人もいれば、受取場の管理者が各部屋に配達する場合もある。そのやり取りが各居住者のセーフティネットの役割も果たす。受取や配達の際に健康状態などを確認できるからだ。

一括・一か所に配送できる上、不在なしが確定しているので、販売者によっては送料が安くなったり、無料だったりする。

(イメージ図)

居住者にとっても、人と対面することで会話が生まれる。他人と対面するので、最低限の身づくろいはする。受け取りのために出たついでに、団地の敷地外で用事を済ませることもあろうし、誰かが来訪するなら玄関先もそれなりに整える。訪問者も受領者の様子に変化がないか、無意識に確認する。

コミュニティーの構成要件の一端が、荷物の配達・受領行為によって維持される。もちろん、通常料金での各戸配も選択できるようにし、発送元・品名などの個人情報の取り扱いについては、本人の希望が最優先されるようにもする。

「見回り」や「家電の使用有無」による生存確認のような、ある種の監視的な機能はすでに増えつつある。IoTの発達と普及によって、そういったシステムはますます充実するだろう。

しかし、個室に引きこもる単身老齢者の生死を、機械が動作確認から把握・管理できたとしても、その個人にとっては「生きている」ことを実感することにはならない。

私の育った地域では「ありがとう」「おかげさまで」「いつも助かります」「わざわざすみませんでした」といった言葉が、うっとうしいぐらいに耳に届いていた。だからこそ「このへん」(この辺り)という、透明のつながりが存在していた。

近所の人が困ったり、不幸があったりすれば、全員が助けたりお悔やみをするのだ。誰かに頼まれたり、強いられるのではなく。

自然な年代間交流

(イメージ図)

ネットスーパーなど年寄りには無理、と切り捨ててはならない。画面をともに見て、本人が選んで買い物を完了できるようサポートする者がいれば良いだけだ。荷物の受取は先に書いた「荷物受取所」でできるし、何よりもその受取所の管理人の中には、発注した本人をサポートして画面操作した者も含まれている。

ボランティアではなく仕事として携わっているならなお良い。たとえば「〇〇〇団地ネットスーパー発注所」的な名称の福利サービスがあり、住人が毎日その場所(前出の受取所と同じ場所)を利用する。ネット云々など分からなくても、設置されているモニターの前に座れば、横につくサポートスタッフが配送可能なスーパーのウェブチラシを見せてくれる。スーパー取扱品以外の所要物があれば、しかるべきショップを検索する。

年代をまたぐ交流など、わざわざ場を設けて毎度毎度イベント化する必要などない。年寄りができないことを下の年代のできる者がまかなえばよい。助けられた者は心からお礼を言うだろうし、感謝の言葉を受けた者は気概と喜びを感じ、自身の存在に確かな意味を見いだせる。

何かを買って届けてもらう、という単純で当たり前の行為に、副産物としてのコミュニティ活性化作用があるのなら、物流屋冥利に尽きる。いかにして住民を引っ張り出すかについて、さまざまな方策を練って設計したいと望んで止まない。受取側の努力や工夫を知って、発送側が黙っているとは思えない。販売元とデリバリー担当会社は、有形無形の協力を惜しまないと信じる。

物流の存在価値と社会的な責任をじっくり考えることが多くなった。受け身だった業界の体質は大きく変わるだろう。変わらなければ前時代の遺物になるという予感は、多くの人にとっての確信になりつつある。