
話題永田利紀氏のコラム連載「日本製の物流プラットフォーム」の第9回を掲載します。
第17章- コストの地域格差
現在は地域ごとに物流を担う企業が存在している。その方法論や人員の手配も個々に行なわれ、各社の努力と運営作法に応じて結果が導かれる。
■ 物流の地域格差

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かつて地方都市では個配便の運賃は破格値が提示されていた。もちろん無差別ではなく、そのエリアの有力企業やECなどで一定以上の出荷件数を持つ事業者には、大都市圏の巨大ECと遜色ない格安の運賃契約が提示されていた。一方、割高なチャーター料金やルート自体の改廃などで、企業だけにとどまらず住民の利便も損なわれたり、変更されて不便になったりすることが珍しくはなかった。
価格やサービスは企業ごとに設定されるが、「なぜそうなるのか」の論理的な説明は不十分なまま、一方的な告知に終始するのが常だった。
■ 同一サービス同一料金
有償サービスである限り、同じ内容なら同じコストのはず、と消費者は考えるだろう。しかし現実はそうならない。「同一内容」が非常に微妙であり、それに「地域」という要素が加わって、似たようなサービスであっても同一コストにはならない。その典型は水道光熱だ。電気・ガス・水道という公共サービスですら、同基準の同価格設定は実現できていない。物流にしても、完全な均一化は難しいだろう。
■ せめて同じ規格での運用を
制度の導入にあたっては、完璧な仕組みにこだわる必要はないという割切りが必要だ。同一商品を同一地域で購入したならば、その送料は購入先に関わらず同一。まずはこの常識を周知徹底させることが第一歩となる。その下支えのためにも、運送前に存在する荷役コストも平準化しておく必要がある。そこで格差が生じれば、その当事者による差額の転嫁や割引の独断が横行しかねない。
業務の共通プラットフォームは、荷役と配送の双方が揃ってこそ、その本領を発揮する。
■ 人件費格差は許容

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最低賃金に代表される地域別の人件費は、共通プラットフォームを運用する各社が統一規格に準拠し、平均値との差額を負担するべきものだ。
単月や一連の業務での利益ムラが発生する可能性は否めないが、規格に準拠する事業者が増加すればムラは平均化される。設定基準は物流総量の各統計値から類推することになるので、準拠者の増加によって物流量が増えれば増えるほど平均値に近づく。つまりは設定コストに近似してゆくのだから、事前に想定していた収支と似通るだろう。東京都を最高として沖縄に至るまでの平均賃金に従量傾斜した係数をあてて、割り出した人件費コストとの各地域格差は、参加全社が認めて許容しなければならない。
この記事は概論までだが、実運用に際しては各要素の数値化が必要になる。量が多いだけで難しいものではないが、参加企業の募集と、算出数値への理解・納得を得るための事務局を設置する必要がある。
第18章- 模倣と縮小
言うまでもなく日本は技術立国だ。世界に誇れる製造物や品質管理、設計技術の数々。そんな自負はもはや過去のことになってしまったのだろうか。答えは「否」だ。
物流技術は今まで本気で改新しようと試みられなかった分野のひとつ。製造現場の成熟度に比して、あまりにも野放図なままだ。ゆゆしき問題だが、数少ない手付かずの残置物だ。採掘前の原石といってもよい。
■ 広大な領土の大規模ビジネス

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兵站(へいたん)と訳される現在の物流技術は、広大な領土の米国で発達した。経営学者のドラッカーが「流通・物流は最後の暗黒大陸」と表現したのは前回の東京五輪の少し前。以来、数多い技術や設備、システムが日本にも輸入された。それはかつての製造業がたどった道と同じだった。欧米の技術や価値観を研究し、次にまねて、最後はオリジナル化する。しかし物流分野では、中途半端な後追いや模倣にも至らない状態が続いている。それは欧米の先進技術や仕組みの縮小版だったり、切り取りだったりする。「物量が増えても拡張性に富んでいるので…」という類の、今後起こりもしない事態にまで説明が及ぶ。
等倍で用いてこその機能や生産性なのだが、無理やり縮めてしまっているため、へんてこなバグやストレスが業務の端々に出現してもたいした問題になっていない。
■ 似て非なるもの
欧米の巨大物流やSPAの自己完結型ビジネスの最終ランナーとしての物流機能には学ぶべき点が多い。しかしあくまで「思考のきっかけ」程度にとどめるべきだろう。移動距離や物流規模が違いすぎるので、相似形の転用には無理がありすぎる。何よりもサービスの根本的な評価が異なっていること多々あるし、作業品質や微細な気配りの付加価値を追加する余地がない。まねるべきは方法論の組み立て方だ。足し算ではなく引き算を追求する思考回路を身につけなければならない。そのうえで、日本固有の物流技術を編み出すべきだ。
■ 合理性と協調性
日本の物流は合理的であっても、無差別な切り捨てを回避するものでなければならない。究極の引き算で設計された物流業務とそれを支えるプラットフォーム。多種多様で万人が共用する仕組の構築は、海外の模倣ではとうてい叶うものではない。そして日本人には極端すぎる個人主義も、あえて否定する必要があるだろう。
それは国際基準やビジネス水準の評価とは別次元に存在している。文化、慣習、伝統、国民性、価値観――究極の引き算で設計された日本流の物流機能は、無差別な切り捨てを排除するものでなければならない。何を切り捨ててはならないかは各自がすでに悟っているはずだ。
―第10回(6月15日公開予定)に続く
第1回:https://www.logi-today.com/376649
第2回:https://www.logi-today.com/377070
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第4回:https://www.logi-today.com/378377
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