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「うちの倉庫はダメだよな」第7回

2021年3月15日 (月)

話題企画編集委員・永田利紀氏のコラム連載「うちの倉庫はダメだよな」の第7回を掲載します。

「うちの倉庫はダメだよな」第6回コラム連載
https://www.logi-today.com/423534

17時30分を少し過ぎたばかりだが、庫内と事務所に残っている人数はわずかだった。仕事量自体が激減しているので、定時を待って上がる日が続いている。18時には倉庫敷地内にいるのは私ひとりとなった。隣地の他社工場も消灯して、閉門している。

■ 来訪者

工業団地でもある近隣はどこも似たようなもので、車の往来もすっかり減ってしまった。机に戻りマスクを外して、今日の日報に目通ししてから明日の入荷予定と〆後の出荷指示データを確認したが、通常時の半分ほどしか仕事量がないことに変わりはなさそうだ。

(イメージ画像)

いったいいつまでこんな状態が続くのだろう。今冬の賞与云々やら昇給凍結などのヒソヒソ話があちこちでささやかれる最近の社内だが、もはや自分の財布のことばかり言っている場合ではない。我われ船員の暮らしが営まれている船自体が航行できなくなってしまえば、財布の中身の多寡を案じることすらできなくなるのだ。心細くなる燃料事情によって、積載物や乗員の見直しが遠からず行われるに違いない。

その時に残る側に選ばれるのか、または残りたいと意思表示するのか。もし私が何も変わらぬ従来どおりの日々を過ごしていたなら、この先にはどのように考え行動するだろうか。

年が改まって、第4四半期を迎えるころには、何らかの動きが会社側からと社員側からの双方で目立つようになるだろう。もう去年までのわが社には戻れないはずだ。それはわが社の属する業界動向にとどまらず、日本という国の在り方が大きく変わってしまうからだと思う。

その時に経営層や管理層、社員各自はどう考えてどう行動すべきなのか。そんな漠然として結論が出せそうもない懸念や疑問が浮かんでは消え、しかし尾を引くような寄る辺なさが名残となって無人の事務所に漂っているようだった。すべてはもはやかかわりないことになってしまった。自業自得と自覚しつつも、冷風のような疎外感と喪失感が押し寄せて、切なくなっていた。

(イメージ画像)

18時40分に管理部B課長にショートメールを送信した。

「もう全員退社し、今は私ひとりです。お待ちしております」

5分ほどしてB課長から返信があった。

「あと10分ほどで到着します。裏門から入りますのでよろしくお願いいたします」

とのことだった。

正面ゲートを閉めて、ヤード庇下の主照明を人感センサーに切り替える。事務所を通って裏門へ迎えに出たら、ちょうど営業部の社用車が後進駐車したところだった。
歩み寄り始めたその時、車の両扉が同時に開いた。運転席から濃色のマスク姿のB課長が姿を現した。
「お疲れさまです」
その声と同時に助手席からもうひとりが出てきた。
「お疲れさま。久しぶりだね」

白いマスクを少しずらした社長が笑顔で立っていた。

 

すっかり動転してしまった私にB課長が申し訳なさそうに言った。
「すみません。社長がご同行されることを伏せていました」

なぜ社長が一緒なのかが解らなかった。他の役員や秘書も伴わず、小さな営業車の助手席に乗って管理部の課長と二人で倉庫に。しかも私は今週頭に禁忌の直訴をしたばかりだ。そして何の反応もないまま黙殺されて今に至っている。なのになぜ?

あきらかに動揺して混乱している私に社長が言った。

「メール添付の報告書はすべて読みました。それについていくつか質問や確認したいことがあります。仕事終わりの後で申し訳ないと思いましたが、無理を承知でB君に依頼してもらいました」

無言のまま小刻みに頷くだけの私に、
「冷たい飲み物とサンドイッチを持ってきたから、まずは食べましょう」
そう言って、軽やかな足取りで事務所へと向かう社長と後ろに続くB課長。
慌てて追いかける私の胸中は得体のしれない違和感が膨張して苦しくなっていた。

(イメージ画像)

現社長は私の15年先輩にあたる。入社した時には、営業部のエースというだけでなく社内のスター的存在だった。納品がらみの用件で物流部にも頻繁に顔を出して、専務を交えて打合せしていた光景や漏れ聞こえてきた会話の声の調子を昨日のことのように思い出すことができる。いつかその打合せのテーブルに同席する日が来ることを夢みていた当時の自分が懐かしい。

数々の実績と声望の高さは幾重にも積み上がって無二ともいえる存在となり、ついには創業以来の最年少で経営トップに上り詰めた立志伝中の人だ。その報に、会社の将来への希望と期待を膨らませたのは私だけではなかったと思う。現社長の功績なしでは今の会社はあり得ないという評価については、社内外を問わず疑う者などいないはずだ。

そして私も、新社長誕生とほぼ同時に課長職を拝命した。今から3年前のことだ。
入社20年未満の課長就任は、新卒採用が始まった前回の東京オリンピック前年以来、2番目の早い出世だった。憧れでもある現社長の記録に次ぐことが胸中での誇りでもあった。記録が3番目になったのは、他でもない、目の前にいる管理部のB課長が営業課長に昇進した時だった。

非営業・非仕入部門でも評価される。
それは大きな喜びだったし、自分の仕事へのより確かな誇りにもなった。
私はエリート意識を自覚し、出世街道を踏み外さぬように細心の注意を払い始める。見過ぎぬ・言い過ぎぬ・聞き過ぎぬ、を心がけ、本音や本心は誰にも漏らさず。営業や仕入や管理の矛盾や不合理にも目をつぶり耳をふさぎ口を閉じた。役員や各部長席への物言いや報告には、表現の一言一句を慎重に選び、礼節を過剰なまでに気遣ってやまず、終始如才なくやり過ごすことに専心した。それが組織人としての正しいふるまいと自分に言い聞かせた。

(イメージ画像)

専務を中心に物流部全員で写っている自社倉庫竣工時の記念写真は、いつの間にか引き出しの奥にしまわれていた。恩師と大勢の先輩がたの笑顔に居心地が悪くなる日が増え、毎日をがむしゃらに必死で過ごしていたころの自分自身と目が合うたびにイラついて耐えがたくなっていたからだ。

「君はこのままでいいのかい?」

もし専務がご存命なら、今の自分にはそんな言葉を投げかけるだろう…聴こえるはずのない声に耳をふさぎ、目に浮かぶ思い出は暗転させて今やらなければならない仕事のことに切り替えることにも慣れてしまった。長く標としてきた恩師の教えはひたすらに苦く辛いだけで、明日の自分には無用の古い薬だと思うようになっていた。

目の前で世間話をしながらサンドイッチをほおばる社長の姿は、颯爽と物流部の部屋に入ってくる課長時代とあまり変わらないように思えた。この人は何十年を経ても、老け込んだり身構えたりしないのだろうな、と今さらながら感心しつつ、全く空腹感を覚えない胃にお茶を流し込んでいた。

「食欲がないんですか?」

B課長の案じる声にあいまいに答えながら、早くこの時間が終わればいいのにと心中で繰り返していた。社長はちらりと私を見て、そのまま話を続け、B課長と私は相槌を打ちながら会議用の小さなテーブルでの時間は過ぎていった。

「A君、全然食べないね。そうか、自宅で晩御飯が待っているのか。いや気が回らなくて済まないね」

社長の言葉で軽食時間は終わろうとしていた。

「申し訳ありません。せっかくお気遣いいただいたのに。暑気あたりのせいか食欲低下気味なんです」

恐縮しつつも、早くこの場を逃れたい気持を察したのだろう。B課長が引き取って、社長に申し出た。

「遅くなりますので、そろそろ倉庫に入りましょう」

私が先頭に立って、社長、B課長が続いた。締め切った夜間の倉庫は、日中の熱気が居残っていて蒸せるようだった。

「ここに掛けておいていいかな?」

社長が上着を脱いで、リフトのフレームに掛けているところだった。

「事務所のハンガーにかけてきます」

「いいよここで」

シャツを腕まくりしながら近寄ってくる社長の顔には、先ほどのにこやかで柔らかい風情の名残などみじんもなかった。

「さあ、ではどこから始めようか」

倉庫中央の通路が交差する場所で、社長は静かに言った。

 

―第8回(3月22日公開予定)に続く


永田利紀氏の寄稿・コラム連載記事
■連載
コハイのあした(連載9回)
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BCMは地域の方舟(連載3回)
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